Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

野次馬2.0(三ノ輪・火事中継)




三ノ輪駅付近の火事の様子

三ノ輪駅付近の火事の様子

今回の記事の見所
①火事中継
②火事の想い出

三ノ輪駅付記で火事があった。たまたま郵便局の帰り道に、なにやら消防車の音が鳴り止まないから気になっていたが、大通りに出て、火事なのだと気付いた。

別段何も様子はない。どれ、ちょいと見てこよう。火事は江戸の華ってなもんだ。と廻れば大門の見返り柳と御歯黒溝を経由して三ノ輪の交差点にちょういと頭を出した。

近く、間際で見てみるともう既に2、3台消防車が駆けつけて消火作業がはじまっている。すでに煙もそれほど出ていないから鎮火する寸前だった…と思ったのは大きな間違いで、これから火は勢いを増していくのだった。

詳しい話は、下の動画をご覧下さい。

結局、この動画をあげようか、正直迷った。金に困っている身とはいえ、人の不幸につけ込んで金儲けするのは、やっぱり無理で、美しくないことはしたくない。とはいえ、自分がこの動画をあげることで報道される“なにもの”かがあるんじゃないかと考えた。動画をあげる意味は以下、大きくわけて次の2つの意味がある。

①アーカイブされるべき事件の個人の生の視点を共有すること。大手メディアに載らない本物の現場の声を自分一人の視点ではあるがアクセスできるという点である。

②さらには、近年巷で流行しつつある自ら情報を発信するオウンドメディアの実践である。これは科学コミュニケーションとも深く関わる。自らで情報を発信する訓練を自らに課す練習にもなる。練習ではなく、本番であるが、これも徐々に経験値を積んでいきたい。

 

結論から言って、ウェブ2.0時代の野次馬はいいことだ。(*作業の邪魔にならないことが絶対前提)

 

今日この動画を撮影していて一番の収穫は、末端の警官の苦労である。歩道橋で野次馬していたのだが、赤信号みんなで渡ればこわくないで、警官の歩道橋を降りてください、とのコールに誰も反応しなかったのは、みていて不思議な気分だった。お上のいうことに従う従順な羊の日本人も、群衆になるとやはり強い。というか反応が鈍くなる。若い警官の効果のない声だけが響いていたのだが、彼が近くに来たときに、彼の額からめっちゃ汗がでてて、それが秋晴れの中、火災の煙に包まれたそんななかで光っていたのが、とても綺麗で、あぁ、彼は別に本気で俺たちを移動させたいわけでなくて、ただ上からの指示でやっているだけなんだろうなぁ、というのがスゴく伝わってきて、でも、見ていたいし、撮影しておきたいし、でも、彼をこれ以上みじめなままにさせておきたくないし、といった葛藤を心の中で2秒くらいして、俺は、やっぱり、歩道橋を降りることにした。

彼の汗をみたら、やっぱり降りるしかないじゃないですかぁ。

それと、この事件を利用して、Youtuberの名前を高めてやろう、サムネイルをどぎつくして、目立ってやろう、また毒舌トークでなにか面白いことを言ってやろう、と考えたが、やっぱり笑えなかったし、ネタにできなかった。たけしや、爆笑太田なら大いに笑いに帰ることができたのだろうが、やっぱり、まだおれには、彼らと比べてたら圧倒的に芸が足りなさ過ぎる。浅草に住んでいるとはいえ、もっと芸を磨かねば、と志を改にした。

今回の事件は幸いにして、全員避難していたようだが、これですらネタにできない、俺がどうして人が実際に死ぬような事件をネタにできようか、いや、できるはずがない(反語)だが、いずれ、人の死を、他人の死をいじれるようになりたい。

その覚悟がまだ俺にはない。人の死を茶化す程度なら沈黙を。その死を背負う覚悟あるものだけが、死人を玩具にできるのだ。

人間の業の深さと、また露悪家になれない中途半端に自分に改めて気付けた一日だった。

追記 火事と言えば、ちび丸子の長沢君だろうが、それと、中学一年生の頃、寝る時間間際、近所で火事があったとき、道路一本隔てたくらいで、今日よりもめっちゃ近くで、火の粉がまい、熱さが感じられる距離で野次馬をしたことがある。その時には、ずーっと鎮火するまで一時間半近く見ていて、そのまま布団に入って寝たわけであるが、翌日、聞けば、現場検証の結果、介護疲れの長男と母親が無理心中をはかったっぽい、という発表が狭い町内を駆け巡った。ちょっとした挨拶程度の顔見知りであったのだけど、あぁ、死んじゃったのか、といったそれほど悲しい気も市内程度の知り合いであった。まぁ、そんな感じで、その夜、普通に寝ようと思ったら、パジャマがめちゃくちゃ煙(ケム)いことに気付いた。居酒屋帰りのサラリーマンの焼き鳥つくしの脂の染み付いた臭い。ふと、今朝聞いた記憶が甦る、俺が昨日浴びた煙は人が2人焼けた煙で、それが俺のパジャマに染み付いているわけで、そして、俺はそのまま、布団に入ったわけで、布団から出てよく布団を嗅いで見れば、布団も”汚染”されている。とはいえ、夜はもう遅く、いつもは、布団をめくって仰向けになりながらおなぬーをするのだが、それすらまったくやる気が起きない。というか、だんだん気持ち悪くなってくる。眼を閉じると、介護の苦労やら、その死ぬ間際の会話が勝手に妄想して浮かんでくる。

「おい、おっかぁ。すまねぇ」
「ええんんじゃよ、それで。いままで迷惑かけたね。」
「おっっかぁあ…、すまねえ、すまねぇ。」
「いままでありがとね。」
「うぅううぅ、…おっかぁ、、おっかあぁ」
「また、今度生まれ変わってもあんたを生むからね」
「おっっか、っか、おっか、…うぅぅう。」

そうして、2人はガソリンをかぶって、マッチで火をくべた。現場検証によれば、気が変わっても逃げられないようにふたりとも身体をロープで縛っていたそうだ。あぁ、遠野物語。柳田国夫。小林秀雄。

その日は、なんだか、煙に包まれながら、うすい獣脂をまとって胎児のように眠った。

翌日、おかんに事情を説明し、パジャマも、布団のシーツも洗ってもらったのだが、それ以来、そのパジャマを着ることはなかった。

5分50秒からの長沢君の台詞がせつない。俺なりに笑ってみようと思ったが、感情移入しすぎると笑えないw

「うわぁあー、ぼくの家が、ぼくの部屋がぁ、」

「あぁああー、ぼくの大切な本が、おばあちゃんからの手紙が、みんな燃えてなくなっちゃうよぉおお〜」







せつねぇ。
それに、逃げるときに唯一もってでてきた変なおもちゃw
せつねぇ。

だけど、後編まで見たら、正直…

 

クソワロタwww

 

ちびまる子ちゃん、くっそ面白い。昔の方が毒があって、やっぱおもしろいなぁ。火事の翌日に長沢君を励ます会でクラスメートがかけることばがみんな、がんばってください。だけのくだりが面白いwそれとはまじの励ましの言葉w

「新聞にでられることなんて滅多にないから、それはよかったな」wwwとか、ウケる。

最後にみんなで「ぼくらはみんな生きている」を歌ったのち、長沢君の言葉で会が締めくくられるのだが、それがまた秀逸w

「みんなは、いいよな。火事にならなかったんだから…」wwwワロタwww

 

クレヨンしんちゃんと同じで、無毒化したアニメはやっぱくそつまんない。本音が垣間見えるアニメ、ドラマ、それが一番くそ面白いw

今日は、そんな記憶を火事を野次馬しながら考えていた。(*ちな、「長沢君ちの火事見舞い」の巻もクソワロタ\(^o^)/www)

 

帰宅するなり、俺はすぐに風呂に入った。というのも、中学生の頃と同じ過ちを繰り返さぬようにするためだ。

備えあれば憂いなし。日頃から防災意識を高めておきましょう。天災は忘れたる頃来るのだから。 icon-eye 

一ノ瀬健太

勝手に超まとめ
①野次馬2.0は多角的視点から物事をとらえることに最適。これは火事だけでなく、災害時、戦時にも役立つ。ウィキリークスを促進せよ!
②火の用心。マジで。







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