Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

手塚治虫の偉大な理由。わかる人だけわかってくれスペシャル。



今日は、アトムの命題読んだったwww!!!

手塚マンガはなぜ生まれたか?しばしばよく聞く、鳥獣戯画があったからといった老害おっさんたちの日本文化論にはいつも納得しつつも辟易していた。

んなこといったら、ラスコーまでつながるじゃん。手塚はラスコーがあったから生まれた。手塚は式山縁起絵巻があったから生まれた。手塚は尾形光琳がいたから生まれた。手塚はディズニーがあったから生まれた。

んじゃ、ディズニーは何から生まれた?歴史のない国でなぜにディズニーが生まれた?ならば、こうも言えるだろう。ラスコーがあったからディズニーが生まれた。ラスコーがあったからピカソが生まれた。いな、その前に、ラスコーがあったからレオナルドも、ミケランジェロも生まれた!と!!!www( ‘ j ’ )じぇ!

つまり、手塚と鳥獣戯画を直接結びつけることは、ラスコーとピカソを結びつけることくらい無理はないにしてもカテゴリーミステイクか、それに近い大いなる隔たりを感じさせる。無理めなパノフスキーって感じだw

だが、ここにきて、さすが、大塚英志である。目から鱗の連続であった。手塚が生まれた背景に省察を加えながらその謎を紐解いていく。俺は、西洋美術史も専攻しているが、パノフスキーとはおそらく、今までのアートヒストリーで今大塚英志がマンガの領域でしていることを世界規模でやって成功した人なのだと思う。大塚英志を通じて、パノフスキーの凄さを知れた。これもまたありがたいことである。またそして、大塚英志を通じて、高階秀爾、今のい芸大の先生方に敬意をまた新たに抱いた。抱かせてもらった。腐っても鯛。腐っても教授。その凄さに敬意を必ず持つべきだ。このご時世、しっかりした学問のバックグランウンドなくsていは大学の教員にはなれないだろう。エネルギーの総和、そんなものが垣間見られるようになった。

おれもまさに、大塚英志説にいちばん共感を覚えた。つまり手塚マンガ、日本の現在の”まんが、マンガ、漫画”はなんであれ、現在も主流の、mangaという発音を聞いてイメージする週刊連載の雑誌的な感覚の”マンガ”の起源、すなわち現代マンガの起源は、手塚の「勝利の日まで」の一場面にこれを求めるわけである。そのシーンとは、ミッキーの乗った機関銃飛行機から一斉掃射を浴びて玉を胸に受けるそんなシーンである。

なぜそのシーンなのか、そのシーンに込められた大いなる歴史的意義に戦慄させられた。

手塚の成した功績は、不死身のマンガに身体を用いたことだ。そしてそれだけでない、手塚は様々なことに偉大すぎたあまり、多様な解釈を持ちすぎた。手塚はまさに一つの時代の結節点だということは間違い無いだろう。

それにしても、手塚の新宝島を石ノ森章太郎や藤子不二雄が過大評価するあまり、すこし手塚以前の漫画家に対して焦点がぼやけたていたのが、大塚英志さんが雲払いをしてくれたように、ビフォー手塚の漫画家たちが体にしみこんできた。田河ほうすい、北沢楽天、岡本一平、酒井七馬、諸々。1コマ漫画、4コマ、そして、舞台マンガから映画的手法を取り入れた映画マンガ

そして、戦前、戦中、戦後、占領期と全てのピースが手塚の中でかち!っとはまっていくのが読んでいて大変、感動した。目から鱗の連続連続とはこのことだ。読むたびに大塚英志の文章にはなんらかの収穫がある。

手塚マンガの歴史的意義はたくさんありすぎるため、一言では言えない。それは箇条書きにして、述べられるものだろう。

詳しくは本書を読んでもらいたいのだが、⑴不死身の身体に傷をもたらした。⑵マンガに映画的手法をもたらした。⑶マンガを記号化した。(ソシュール化といったもいいだろう。漫画に描かれるすべてを記号と言い切った!し、その通りのだったwww時代を先取りしすぎていたこれなんかもう笑うしかないw)、その他にももろもろ、アトム大使を通じたツァイトガイスト表現など、これは、まぁ実証的でないが、そう読み込めなくもない、

まぁ、パノフスキー的な解釈と考えていいだろうし、無意識も本当にあるとフロイトでなく、現代科学によって証明されたから、こうした手塚の、万が一に、意図していなかったにしても、無意識が意図していたという見方もあるから、アトム大使は、日米安保と日本のネオテニーに繋がっていると言い切ってもいいだろう。もうまんたい。

つまり、ながくなったが、つまり、すなわち、即。

手塚は、近代漫画にロシアンアヴァンギャルドの構成主義を導入し、徹底的に自らのマンガを記号化し尽くし、なおかつ記号化という非身体化の中において、過激なまでに身体化をもたらしたということだ。

一言で言えば、手塚の歴史的な業績とは、

マンガのすべてを徹底的に記号を拡散しつつ細分化しつつ、解体しつつ、構成しつつして、その記号に肉と心をもたせ、身体化し、魂化させた、ことに尽きる。

マンガにできる領域を拡大したといってもいいだろう。手塚において、マンガはなんでも可能なメディアになったわけだ。

これが手塚の偉大たる由縁である。

追記 ここに手塚の説明に高階が加わってもいいだろう。つまり、あまりに装飾的であること、余白、記号化、これが日本のお家芸であるのならば、まぁ、手塚と

手塚の家には、そもそもでかなり裕福で、岡本一平全集、北沢楽天全集、またナカムラ・ライブラリーが多数揃っていたということも手塚が生まれた原因だ。

つまり、手塚漫画のそのシーンは、北沢楽天、ディズニーに由来する傷つかない不死身の人体に、傷を負わせることに成り立っているということで、

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