Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

Renaissance Man


Renaissance Man とは…

ルネサンスの頃に人間の可能性を追求した人たちのこと。

世界的に有名なのは、あのレオナルド・ダ・ヴィンチです。

画家であり、軍事顧問であり、科学者であり、エンジニアなどたくさんの顔がありました。

このウェブサイトは、人間の可能性をモチーフに作家活動を行う作家・一ノ瀬健太の自己研鑽を記録する場です。

ブログや作品などご覧いただき楽しい時間をお過ごしくだされば幸いです。

生きることがアートになる時代がやってきました。

マルセル・デュシャン以降、アート概念は拡散の一途を辿り

キャンバスや絵具、彫刻、音楽、建築、文学以外にも

人間関係やプロジェクト、政治活動などがアートの表現媒体として見なされています。

美術史を鑑みた場合に、私たちの”人生”というメディアが

表現媒体の最後の開拓地としてあるのではないでしょうか。

清く、正しく、美しく、私たちは共同体のなかで一生懸命に、ひたむきに生きる姿を

芸術とするときがきたようです。

新しい芸術表現の境界線を一緒に拡張できれば幸いです!

さぁ、一緒に世界を創造(クリエイト)しましょう!

一ノ瀬健太

 




世界的にレアな6浪。近年のお受験の最大の犠牲者であり最大の恩恵を被った者でもある。

東大受験に6度失敗した後、同時並行的に受けていた芸術の大学に拾われそっちの道に。

今は、Youtuberを目指し日々獅子奮闘中!合い言葉は”耕してるかい?”

現在は、認知科学、文化人類学的観点からアキバ系カルチャーを研究中。主にロリコンについての考察をしています。岩波文庫をベースにウェブデザイン、ゲーム、マンガなど多岐にわたる分野で活躍中!

故郷、新潟に錦を飾るためがんばっております!\(^o^)/ヒカキンに負けないぞ〜!

 

 

生まれてきたよかった!生きててよかった!そう思える体験を独自の視点からシェアしております。

おもしろかった本や、アニメ、マンガ、映画、その他もろもろの人間賛歌!

 

Youtuber iccchiiiiii

ヒカキンに憧れてはじめたYoutuberであったが、最近ではJaron LanierGordon Bellの影響もあり、日頃の気ままな日常を無理のない範囲でライフログ(人生の記録)として撮影し公開(後悔w)しております。まぁ、そもそもで私は芸人なので、恥を売って商売をしていると考えておりますので、どうぞ私の恥の多い生涯を笑ってやってください。現代版人間失格です。

チャンネル登録よろしく!いっしょに世界を変えよう!

また平成27年5月10日(日)より藝塾という私塾をはじめました。
時代遅れかもしれませんが、決して古びない”古典”を中心に据えた教養の復興メディア・リテラシーと合わせながら教えています。
ウェブサイトはこちらから→geijyuku.com

ウェブデザイン絶賛受付中!!!

一般的な企業に発注する場合の3割程度でお作りできると思います。お写真撮影から文言まで何から何までおまかせください。誠心誠意対応します。ウェブの技術的レベルは”中級の上”全体的デザインレベルは”上の上”と自負しております。(ページ数、作業時間に応じて応援量も変動しますが、まずはとにかく連絡くれっちゃ!)(現在、ウェブデザインのお仕事はお休み中ですm(._.)m)

↓↓↓参考サイト↓↓↓

ようこそ!いっちーの世界へ!

しゃく・じ・い・りょー!

Renaissance man

Kenta Ichinose(過去ホームページ)

研究成果

論文『芸術の最終定義 -The Final Definition of Art-』
著書『人間芸術家宣言!』

芸術作品→Art Works

しばしば忌避されがちなアキバ系絵画(ロリ絵)が受容される日本社会を文化的、歴史的、進化心理学的に正しいものであることを結論づけた研究報告はこちら→Clarisse CrisisClarisse Crisis ~the Soul of Japan 2.0~

ひとりぼっちプロジェクト・ザナドゥーはこちら→いっちーの図書館
(最近いっちーが読んだ本の紹介など)

生きるに値する素晴らしき世界の断片はこちら→いっちーの写真館

現在の興味関心は、Youtuber。

人はどのようにしてYoutuberになるのか、ということを実験がてらいろいろ試行錯誤しています。

ちょっとでも面白いな、応援してやるかwと思っていただけたら、

他にも何かやってほしいことあれば、どしどしYoutubeページに書き込んでください。

6浪の失敗に学ぶ勉強法は普遍性あり。

情報の海をふわふわと揺蕩う、わたしはネットの海月。

芸術大学でわくわくぞくぞくのメカニズムを研究しています。

ピッカピカの修士一年生、愛読書はLOと、こどもチャレンジと、別冊マーガレット。

研究テーマは、美を脳神経系から考えることです。

昭和の薫りを知るゴリゴリの旧制高校的教養主義者です。

よきご縁に。

いつもぼんやり誰かに助けられて生きています。自分も誰かを助けながら生きていきたいです。

とりあえず、一ヶ月10万円を正当な手続きで稼げるような男になりたいです。

アキバ系カルチャーと岩波文庫に強いです。

ハイもローもサブもテック系もまとめて相撲がとれるのが自分の強みと自負しております。

お仕事、記事執筆、お絵描きのご依頼はこちらからどうぞ。

 

 

略歴

1985年、新潟県新潟市水原郷病院生まれ

ごくごく平凡な郵便局員の家庭に生まれる。高卒(新潟東工業高等学校、通称トンコウ)で郵便局員(現在は退職)の父と中卒専門学校卒(準看護婦の免許取得)の母のもと、ヤンキー的気風の中すくすくと育つ。名前の健太は”健康で図太く生きられるように”との願いを込めてつけられた。平凡ではあるが実に素敵な名前である。

新潟市こばと保育園 卒園

ごく平凡な保育園児、ちょっぴりおませさんだった。遠い記憶に先生に服を着せられた時に、下を見ると先生の谷間からブラジャーが見えていて、さらにその奥にある乳首を見ようと躍起に頑張るもいつもみれずじまいだったことを記憶している。また、友人が調子に乗って蜂を殺しまくっていた際に逆に蜂に刺されたところを目撃し、因果応報を深く悟る。

新潟市立上山小学校 卒業

ごく平凡な小学生、少しだけ太宰の人間失格的視点を有していた。小学一年生時において同学年の女子すべてのスカートをめくり、上級学年にまでその範囲を広げた結果、高学年男子にボコられそうになるも、舌先三寸でなんとか逃げ切る。以降は、同学年女子のみに自重。小学五年生で自我のようなものに目覚める。自我の芽生えというよりも、好きな子が出来た結果、自意識、及び人からどう自分が見られるか、というメタ認知を意識し始める。校内で一年生から継続してきた、はだし運動であったが、意中の娘に汚いと思われたら大変である、と自覚し、苦渋の決断の末、コインを振って高学年の中一人だけ続けていた孤高のはだし運動を止める。この時に好きなもののために魂を売る、というボキャブラ天国芸人の”覚悟”を学ぶ。

新潟市立上山中学校 卒業

逆に女子の目が見れなくなる。三四郎状態。この時期、不良がめちゃくちゃうらやましかったのを記憶する。殊に女子と話したかった。失われた青春は二度と戻らない。ラノベのような冴えない主人公でいいから淡々と話せる度胸、及び諦めが欲しかった。ドブロックのような、もしかしてだけど〜♪もしかしてだけど〜♪という勝手な自意識過剰に陥る。諦めのうちに宿る余裕があれば我が青春もさぞ美しいものとなったであろう。もしかしたら彼女と、あわよくば、絶望の中の期待と極度の緊張の狭間にいた。今にして思えば可愛く愛しく甘酸っぱく尊い経験だ。初恋は叶わぬ。しばしば言われることではあるが、可愛いあの子は、結局不良と懇意になった。知は力であるが、中学生にとっての知とはすなわち、容姿を意味する。命短し、恋せよ乙女。若者よ、その瞬間こそ永遠なれ。瞬間、瞬間を慈しめ。以降、将来あの子をゲットするために学問に身を捧げることを決意。それはあたかもたけくらべの蓮如のようであった。いい高校に行って、いい大学に行き、いい職について、いい嫁(意中のあの子は、旦那がブルーカラー労働者なので旦那の寿命も短いだろうと予測、その後彼女を身請けするか、真剣に悩むも明治の元勲達が遊女を妻に娶ったという話を聞き、自分も同じ度量たろうと考え、娶ることを決意)をもらい、いい家を建て、いい家庭を持ち、いい老後を送る、そんな人生を設計していた。

新潟県立新潟高等学校 卒業

野球部で全体行動の辛さを見に沁みて知る。以降、集団主義が大嫌いになり、それは現在まで続く。個人主義が一番と大悟。野球部の仲間は最高だが、組織としての練習や前例踏襲のシステムが最悪であった。部員みなが個人では思っていた改革待望も忙しい練習スケジュールで改革まで乗り出すことができなかった。部活動のかたわら、世界に覇を唱えるため、中国古典「一日一話」(守屋洋著)を完全暗記。高校はこれのみの暗記に終始したといって良いだろう。野球の成績は、一年次からセンターでレギュラーなのだが最後の夏の試合まで戦略的観点から常に打順は9番であった。公式戦ホームラン通算2本、練習試合を含め、ホームランは通算8本。数学で8点を取る。以降、5年間近く数学がトラウマに、orz。現在はトラウマを乗り越えむしろ好きな方だ。文系、理系で分けるのが大嫌い。意味がないから。というか百害あって一利なし。理系ではなく、実証的、統計的物事の捉え方が重要と知る。異性交遊関係は暗黒の漆黒歴史である。クラスの異なる意中の娘と目を合わせることだけが生きがいであった。

第零次受験戦争 東京大学文科Ⅰ類及び慶應義塾大学法学部 受験失敗

第一次受験戦争 東京大学文科Ⅰ類 受験失敗

御茶ノ水の駿台予備校3号館で浪人時代を送る。当時髭と髪を全開に伸ばし一浪なのに仙人と内外から呼称される。受験偏差値と麻雀偏差値が日ごとに反比例の関係のままに受験本番を迎える。結果、撃沈。

第二次受験戦争 東京大学文科Ⅰ類 受験失敗

帰郷、新潟にてロイヤルホストで深夜のアルバイト、労働の厳しさ、両親への感謝の心が芽生える。今も続く。ブックオフ、図書館でありとあらゆる書物、映画を好奇心の赴くままにウィスパーサイドギャザー並みに吸収。この年はマンガ中心。この夏、慶應、早稲田でスーパーフリーまがい(形容詞的用法、実際にはしてませんw)で遊びまくる友人がお盆に帰郷、浪人の厳しさと苦しさから旧交を温める飲み会の場にて、俺は李白の生まれ変わりだ!と宣言、漢詩を諳んじ、鴻門の会での酒飲み演舞を披露。酒量を明らかに限界突破し、自らにみなごろしが発動し、99999ダメージを負う。それだけにとどまらず、酔いが完全に回る前に枡酒で日本酒を浴びるように飲み干す。結果、トイレで鍵をかけて嘔吐、お店に大迷惑をかける。またさらに、チャリの鍵を駅前で紛失。酔っ払っているやつほど、冷静にいたがりチャリで帰ろうとするわけで、千鳥足のまま、友人達とチャリ鍵を探すも見つからず、結局タクシーで帰ることに。初めから帰れよ。またタクシーで家まで直接送ってもらえばいいものを、なぜか家から150メートル手前で降り、夜風だけが俺の友だ、少し戯れて帰りたい、という屈原のような名言を残し、友人達と別れる。その後(以降、ここからは記憶が曖昧だが、関係者の証言と薄れゆく記憶で再編成してある。)道端の街路樹の根っこの膨らみが”枕”に見え、漱石の語源を諳んじつつ、その枕に頭を付け、老鶴一声、山月は高し、と李徴のように慟哭し、四時を共にし眠る。結果、道行くOLに警察へ通報され、頬を叩かれながら余は李白だの、陶淵明だの、ぼくはキャリアだ。これから君たちの上に立つ人間だよ、わかっているのかい?、やら、なんやら、ぶつぶつ「秋刀魚の味」のひょうたんのようにつぶやいていたらしい。遠のく意識の中、家の電話番号をやっとのことで伝えた(らしい)。それから、親父が来てゲロまみれの俺を背中に担いで帰ったらしい。

翌日、親父は勤務中に、なんか、臭いな、俺、と思い、なんか、臭くないか?と同僚に尋ねると、たしかに、なにか臭いですね?という話になり、俺か?と親父は不審に思い、トイレに行き身元を調べたところ、白い下着のシャツの右肩に俺のゲロの残物が付着していたとのことだった。

当人は、二日酔いならぬ七日酔いを経験、禅の境地に目覚める。目を開ければそれが情報となって嘔吐。目をつむって、無になろうと考えると、漢字が浮かんで、それが情報量となるから嘔吐。常に、真の意味での無にならなければ、嘔吐。寝ている時のみが唯一の安らぎであり、もうあまりに生きていることが辛すぎて、不治の病でもう死にたいと語る人の気持ちがわからなくもないな、とまた情報量を感じ、嘔吐の繰り返し、口に入ったものはアクエリアスとポカリスエットのみ、それ以外は、完全アウト。5日目の朝に、味噌汁がやっと入る。それも吐きそうになったが頑張り胃に入れた。一週間たつまで完全に回復することはなかった。それ以降、頭が少しおかしくなる。とはいえ、高校の頃から頭がおかしいと言われていたと、今ふと思い出した。

第三次受験戦争 東京大学文科Ⅰ類 受験失敗

「素晴らしき哉、人生!!!」に出逢う。美輪明宏さんと出逢い芸術に関心を持ち始める。一流に触れなさいとの薫陶を受け、岩波文庫(この年は、ギリシア・ローマ、古代中国をベースに読破)、漱石全集、クラシック音楽、映画、演劇、ファッションなどありとあらゆる一流(と社会からみなされているもの、また美輪さんが素晴らしいというもの)の文物から学ぶ。2浪から3浪が一番辛い。自殺を考えるも、0,001秒で痛いし、苦しいのは嫌だし、祖父死父死子死孫死が一番の幸せだから順番は守ろうと決意し、生きることにした。これも「素晴らしき哉、人生!!!」のおかげである。ロマン・ロラン的芸術の力を確信する。

第四次受験戦争 東京大学文科Ⅰ類 受験失敗 同時並行的に東京藝術大学美術学部芸術学科を受験(二次敗退)失敗

漱石の三四郎の影響から、もはや本郷以外で学ぶ気はない。だが、不忍池の隣にもうひとつ国立の大学があることに気付く。知る人ぞ知る、芸大。東大の勉強をしていたため、楽々芸大の二次試験に。余裕じゃね?と思っていたら壺をことばで説明せよという。そんなのしたことないから、適当に書いて、見事不合格。ディスクリプションとなめてかかってはいけない、と知る。相手は本気なのだ。こっちも本気でいかねば。

第五次受験戦争 東京大学文科Ⅲ類 受験失敗 同時並行的に東京藝術大学美術学部芸術学科を受験(一次敗退)失敗 

海外ドラマを1日に13時間見続ける生活、ビデオワンの店員とも顔見知りに。ER,24,プリズンブレイク、デスパレートな妻たち、ベロニカ・マーズ、ロスト、OC、アグリーベティー、NHKの海外ドラマが土曜の夜にやっていて、それで覚醒!日本のドラマが見れなくなる。映画は当然、黒澤明、小津安二郎、溝口健二などレジェンドの作品は見るに耐える、というか現今やひと昔前のテレビドラマと比較すること自体が失礼だ笑。というか、そもそもで時の淘汰を得ているからそこは冷静に比較しないとだめだ。織田裕二の「お金がない」とか、ロングバケーションとか、白線流しとか、諸々なら見るに耐える。

第六次受験戦争 東京藝術大学美術学部芸術学科を受験、終に合格

神は我に芸術の道をお示しになられたか、と勝手にパウロの回心の気分に浸る。

芸術家として本格始動。

学部の卒業論文「The Final Definition of Art -芸術の最終定義-」で人類史としての芸術の定義に終止符を打つ。

現在は認知科学の観点からロリコンや、人間の感動のメカニズムを研究中。ウェブデザイン、マンガ、Youtubeなど多岐に生存戦略を拡大中(戦前の軍部の拡大方針に陥らないようにしたいw)。

ピッカピカの藝大博士4年生(休学中)、愛読書はLOと、こどもチャレンジと、別冊マーガレット。

伝統的美術史からアキバ系カルチャーまで古今東西の失われゆく素晴らしい文物を語り継ぐことを生業とする。

ありとあらゆる学際分野を気ままに幅広く越境。記事執筆、お絵描きなど諸々、お仕事のご依頼はこちらから。

よきご縁、お待ちしております。

現代のアレキサンドリア司書、みんなのいっちーこと、一ノ瀬健太