Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

いいちこのレジェンドに会ってきた。



いいちこ、諸行無常。

いいちこ、諸行無常。

河北秀也教授のいいちこ展を見てきた。

いいちこ、といえば、もうこの人の写真、この人!といえばいいちこで、もう≒どころか=である。

とはいえ、この展覧会では、河北先生のいいちこ以外の業績もあり、それがまた新鮮であった。車内広告を再現した展示なんてとても遊びココロがあって素敵だった。人間大家になっても遊びココロを忘れないようにしたい。

いいちこ論

いいちこの写真は、まったくブレがない。俺は日本文化論が大嫌いで、日本人は、云々、かんぬん、なんでんかんでん、ってのが大嫌いなのだが、やっぱり、いいちこは、ど・日本的なんだよなぁ、と何度も喉の奥で噛み殺した。噛み殺した残滓がたんのように喉の奥から上がってきて、何度も何度も、諸行無常、はかない生命の一瞬。無限の苦しみの中の幸福の永遠を歌ってくる。

河北先生は、芸大の中でも、しばしば、また海外ですかwといじられているのを何度も目にしたことがある。いいちこの撮影はそのほとんどが海外で撮影される。巷では、時折、あんなの誰にでも撮れる、なーんて、やってもいない意見もしばしば聞くが、(ちなみに学内で聞くのはネタであって、本当に思ってるわけではない。というのも、現場で創作している人間にとっては、あのいいちこの写真は職人技であることは火を見るよりも明らかだからである。外部の人間は、本気で河北先生のような写真、デザインを取れると思っているが、やってみれば一発でわかるだろう。一度ならできるかもしれないが、それをアベレージで出し続けるアベレージヒッターでなければ難しいとうことに気づくはずだ。)まあ、そんな笑いながらディスられる先生の人柄が偲ばれます。(^-^)

いいちこは、日本の製品で、日本的情緒を狙っているのにもかかわらず撮影は海外が多いのは先に言及した。河北先生の作品自体もバブリーど真ん中世代の広告業だから、金が余って仕方なかった背景もなくはないであろうが、それでも、面白いのが、海外で写真をとっているのにもかかわらず、ことごとく、そのどれもが、”もののあはれ”を幽玄に雄弁に語っていることだ。

それが、西洋のクリスマスであれ、オーストリアのエアーズロックであれ、砂漠のなんかめっちゃ変なかたちをした植物であれ、語っているのは、日本の情緒、いうなれば、省略の削ぎの美であり、余白を通じた諸行無常なのだ。

岡倉天心か横山大観が、日本の美術の神髄を、露わに表すことでなく、ほのめかこと、喝破したが、河北先生もまた、秘すれば花を通じて、はかなき人生の、よき酒をともなった交歓を奏でていた。いや、お見事。流石です。

河北先生のいいちこを見ていると、漢詩が浮かぶ。酒といえば李白であるが、河北先生のデザインから李白は見えない。見えたのは、そう、杜甫であった。

河北先生のデザインを杜甫に例えれば、まさにこれであろう。

  朝回日日典春衣  朝に回りて日日春衣を典す
  毎日江頭盡醉歸  毎日江頭に醉を盡くして歸る
  酒債尋常行處有  酒債尋常行く處に有り
  人生七十古來稀  人生七十古來稀なり
  穿花胡蝶深深見  花を穿つの胡蝶深深として見え
  點水蜻蛉款款飛  水に點ずるの蜻蛉款款として飛ぶ
  傳語風光共流轉  語を傳ふ 風光共に流轉して
  暫時相賞莫相違  暫時相賞すること相違ふこと莫かれと

朝帰りをしては日々春衣を質に入れ、毎日江頭に酔いを尽くして帰る、酒の負債は行くところどころにあるが、人生七十まで生きることは稀なのだ

花にとまった蝶は奥ゆかしく見え、水に影を落としたトンボはなよなよと飛ぶ、伝えてくれ、風光はこんなにも移ろいやすいのだから、しばしその眺めに打ち興じていようではないかと

河北先生は芸大を退官されるが、いいちこに関してはまだまだ現役でいらっしゃるそうだ。これもよき報かな。まだまだ河北先生のデザインから、杜甫が生まれ続けるだろう。河北先生、これからもお元気で。

河北先生に乾杯。 icon-eye

一ノ瀬健太




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