Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

【祝】熊野寮五十周年記念誌!!!


熊野寮五十周年記念誌

熊野寮五十周年記念誌

熊野寮の友人たちから、冊子が届いた。

*注)熊野寮はいろいろと誤解を受けやすい(現に既にいろんな誤解をされている)空間でもあり、その存在は”歴史と伝統と非言語的コミュニケーションの積み重ねの上に秩序が形成された、簡単に一言で語れない空間”です。

ABC条約、ストーム、ファミマ連帯とも一部の内容であり、その全貌を捉えたわけではありません。

アナーキーに見える側面ばかりを拡大して取り上げた動画となっておりますが、寮生は同時に、秩序の構築に常時尽力してきているわけで、その絶妙なバランスが表現しきれていない構成になっている動画です。

とはいえ、自分の目に映った熊野寮も伝えることは多面的に物事を見る目を養うには必要なことだと考えております。各自の個別のストーリーを語って、そうした個別の小さな意見が寄り添って大きなストーリーになり、多面的な考察に引きつけられて、他の物事なんかも同じように多面的に考えられたら素敵だなぁ、と考えております。(^-^)

その名も熊野寮五十周年記念誌だ。

1960年代からの怪物たちがひしめき合った頃から、今のモンスターまでの荒くれ者たちが寄稿を寄せていた。

その中に、俺もぽんぽこか、もののけ姫のご老体メンバーの主たちの末席に加われたことを光栄にまた誇らしく思っている。あいつらの横にならべたそれだけでかなり感無量な感がある。

石神井寮は滅びた。だが、熊野はまだその存在を強烈に放っている。大学の自治は、ひとりひとりの頑張りから生まれる。こんなにスマホができて通信手段ができた時代においても動員においてはむしろ昔より難しいようだ。人は基本的にバイトやらなにやらで忙しい。学生運動は基本的に暇か、熱烈な情熱の持ち主でなければ関われるものじゃない。

 

熊野にはやはり今時珍しい暇人たちがたくさんいた。

学歴がないのに住むもの、そもそも学歴とはなにか?からの議論が始まる。夜うるさくて眠れないと苦情を言えば、まず、君が眠る自由とぼくの騒ぐ自由から議論をはじめようとなる。旧来に消えたオルグ文化がまだ根強く残っている証だ。当事者になるのはごめんだが、はたから見ればこんなに面白いものはない。On my backyard、原発も基本的には、傍観者たり得るのが一番幸せなことだ。だが、原発を望む地元と遠くの非当事者の意見の乖離は見ていて虚しい。地元ベース、とにかくそれが一番だ。究極的には、地元の幸せが一番で、その後に国の利益でいい。そもそもでこうした言論の自由だったり、俺の生活が脅かされないのが国ありきであるのならば、国が一番のプライオリティーとなるが、今は、地元ベースが俺の立ち位置で、それは瞬時に変わってしまうものだ。俺は俺の利害でいつも動く。ちな、俺は、風とともに去りぬのレッドバトラーが好きだが、現実でバトラーになるほど夢見がちではないと自覚しているつもりだ。

ストーム、ABC同盟、ファミマと連帯、極左の溜まり場、哲学研究室、善悪の彼岸を超えたエネルギーの塊たち!!!

まぁ、とにかく、素晴らしい文化がそこにはある。50年といわず、これから、100年、200年、続いていってほしいバンカラのカルチェラタン的コクリコ坂的文化。旧制高校の威風をこの現世に高らかと香らせてほしい。君子孤なれども、かならず隣あり、かの熊野の薫風はかならず友を作るだろう。野の花と交われば自然と衣も当人の人格も野の花となるように、朱に交わればあかくなる。熊野の友よ、まずは、京都を染めよ。西を染めたら自ずと東も染まる。

東京芸大は先に逝った。君は決して来てくれるなよ。みなで月明かりの元、詠んだ李白を俺は一生忘れない。あの酒の実にうまかったこと。滅びゆく一つの存在に乾杯した、あの夜は虚空に永遠に刻まれたことだろう。

とりあえず、長々と語りましたが、あと3分の2の内容は、動画をご覧ください。やっぱり、文字を打つのは大変ですね。親指シフト、本格検討しようかしらん。

熊野の末席に加われたこと光栄におもいやんす、みんなのいっちー




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