Googleへの石の投げ方を教える男。
Jaron Lanierさんを調べた。彼の著作「人間はガジェットではない」(ハヤカワ新書ジュース)を読んで学んだことをツッシーと話して共有した。そして、そのために、個人のマルティテュードとしてのウェブ活動を始めようと思う。
彼の著作よりおおまかに要約して抜き出す。p44より。
→集団に重きをおく社会とは個人に重きをおく社会にならない。そして人を人でなくせば暴徒になり、それがネットのトロール(ネットイナゴ)に力を与え、ネットが非建設的な場に陥ってしまうから。
→金融の世界でクラウドコンピューティングを実践しようと思えば、まともな金融政策理論を犠牲にしなければならない。
→科学の世界においても、同様に科学者が今、自分が何をしているのか把握できなくなる。
→今のWebの世界にあるコンテンツの大半が過去の昔は良かった感の漂うアーカイブ(トゥナイトとかw)のみになり、創造性が消えていく。
→精神は自殺しようとしている。意識は自らの存在を消そうとしている。
そして、そんな現行のサイバネティクス全体主義者の流れに個人レベルで対抗できるという、そのおすすめの方法が以下だ。これは私も読む前から実践していたので、やはり、俺!さすが、俺!となったw
→そうしなければ危険な目に合わない限り、投稿時匿名にしない。
→ウィキペディアに執筆する場合、それ以上の時間をウィキペディア以外の場所で費やし、多くの人に届ける努力をすること。
→ウェブサイトを自分で作り、ソーシャルネットワークの用意したテンプレに収まらない形で自分を表現しよう。(はてぶ民はこの点ができてないねwとはいえ、はてぶ民の高等遊民はたちはかなり面白い記事をたくさん書いている。この独自のウェブサイトにどれだけの意味があるのだろうか。)
→たまにでいいから閲覧の100倍の時間をかけた動画を投稿しよう。
→何週間の塾考の末、自分の内側から湧いた、声に耳を傾け、その内容を記事にブログにしよう。
→ツイッターを通じて自分のどうでもいいことを表現するのではなく、自分の内側を表現する方法を模索しよう。ツイッターの投稿画面に合わせて自分を規定することを無意識にしてしまうことはやめにしよう。
上記が、グーグル的なサイバネティクス全体主義者に対抗する唯一の手段である。
まとめると、Jaronさんは、おまえら、ネット依存野郎のみなさん、
ということに警鐘を鳴らしている。昨今のバイラルメディアではないが、右も左も似たり寄ったりな記事ばかりで、そんなものばかりみんなでみていると知っている内容もみんな並列化し、その結果として没個性となり人間らしさが消えて無くなるわけよ。その個性を消すなよ、ということを言いたいのだ(すべてのバイラルメディアに個性はあるが、その構造やとりあげる内容に、たいした差異を見出せない、というのが論拠。構造の問題ってこと。)SNSのフォーマットや、投稿形式にいて自分を規定せず、知らず識らずのうちに、みんな同じ方向を向いて、みな個性があると勝手に思い込んでるような状態になってくれるな!
人間は人間らしく、ネットの海に埋没しない個性を発揮し、そうすることで、ネットをより建設的な場にしていこうと、するのがJaronさんの言いたいことなのだ。
なんでもデジタルに還元できる。人間を科学的に分解しまくれば、人間はただの機械である、とそう主張する人間に、Jaronさんは中指を立てるのだ。MIDIや音符の概念が、その無限のグラデーションを奪うことを彼は良しとしない。
それが、彼の楽器演奏のスタイルになっている。彼は記譜法なき古代の楽器をこよなく愛す。
とにかく、動画、みてくれっしゃ!
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