Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

インターネットがぎこちないままに死ぬ日


インターネットが死ぬ日

インターネットが死ぬ日

「インターネットが死ぬ日」を読んだ。

おれは、昔のマイコンブームを全く知らないし、ITに全くもって疎い家庭で育ったから、20歳近くになるまでまったくインターネットに触れたことなどなかったわけで、岩波文庫読みまくりなクリスティな超アナログキチガイ人間だったのだが、まぁ、最近は、それではやばいと、一心不乱にテック系の臨界期を過ぎているかもしれぬというのに、とりあえず思い立ったが吉日(出典はつれづれ草←こういうどうでもいいことは頭のデータベースにくそいっぱい記憶されているでありんすw)と、プログラミングやらなんやらを一心不乱にやっている。それが最近のProcessingである。下手でもいい。なんだかやっぱり、あるよね、みんなあるのかな、とにかくなんでもうまくなければやってはならない完璧主義感?とでもいうのか。別に誰も気にしてないのに、完璧でないとやらない、的な感覚。おれはあった。というか今もある。だが、完璧でなければやらないのならば、いつ完璧になるのか、卵が先か、鶏が先かの議論ではないが、いつ卵はニワトリになるのか、ニワトリはいつ卵になるのか?その卵は西のスナイパーガンマになるのか?ビーダマン、ふるくてすみません!あ、このブログ、こういうどうでもいい古いネタ続きますよwあ、これおもろなかったらこれから先ずーっとおもろくないらねw)。

とにかく下手でいいから走る!こと、これ大事!んでもって、これで一生食べて行く気もない!のだが、でも、これめっちゃ面白そうで、せめてその原理的な何かだけは把握したいと思っている。ビジュアルプログラミングのプロの凄さを肌で知りたいという願望めいたものだ。最近になって、任天堂の宮本茂さんや岩田現社長のすごさが身にしみてわかってきた。自分が尊敬する人がさらに尊敬する人、神々の中の神々な人たちだと昔よりはそのかれら、神々の足元がはっきりと見えるようになった。いうなれば、相手の経験値と孤独に向き合った時間が推し量られるようになったというわけだ。

前置きが長くなった、この癖なんとか直したい。まくらはやめにして、まくらといえば、弟が使っていたおぼっちゃまんくんの枕の酢のような匂い、好きだったなぁ。弟が新品を買ってもらえてうらやましかったわwと、そんなどうでもいいことばかり書いてるから、時間もなくなり、日もくれるのだ。(ちなみにこの枕、実は意味があり、最後に回収されますので、最後までよんでくれっちゃ!)

さっさと本題。これ大事。

インターネットの環境は現在、自由に見えていて、自由でないという。そして、それはこれからもっと自由で無くなるという。それは、iPhoneにみられる。昔のMacintoshはなんでもできた。と老人は語る。戦争も知らない、コマンドプロンプトも、ベーシックも知らないおれにとっては、まったく実感が持てない。それは、創世記の伝説人たちからみればそうなのかもしれないが、おれからみたらめちゃ自由だ。

だが、彼らの話に耳を傾ければ、確かに頷ける。プラットフォームを抑えようとやっきになる帝国多国籍企業、ぼたんひとつで盗聴もできる。クレジットカード情報も抑えられ、何を買って何を好むか、人工知能が加速する。もはや、戦後でないように、もはや”肥沃”な三日月地帯的インターネット環境は遠い昔になってしまった、という。
スパム、ハッカー、一昔前は、コンピューターが研究機関にしかなく、使い手たちはみな”信頼の置ける研究者”たちだけであった。世界初のコンピュータウイルス、ワームも悪意はなくただインターネット人口の正確な数を把握したいだけだったし、それを仕掛けた彼は建前上軽く罰せられたものの、それはある種の名誉で、今ではハーバードの教授だったかをやっているとのことだ。

大勢の人間が使えばそれなりにリテラシーの相関的に低い奴がわらわらと出てくる。そいつらがばカッターをやったり、炎上させたりして、インターネット空間の自由闊達な空気が重くなっていくという。スパムに対応するには、iPhoneを消毒するしかない。消毒されたデバイスはウィルスに強いが、トレードオフの関係で自由がなくなる。

話はわかるが、とはいえ、やっぱり、実感がわかな。iモードの方がアップルよりもアプリの承認が自由だったのと、同じくらい実感がわかないw

インターネットが死ぬ日は、近いのか、それとも、新しい環境になるのか、とりあえず、現状、おれは正直、満足しているから、彼らの言っている肥沃な環境を理解するにはもう少し時間がかかりそうだ。だが、俺の直感はけっこう間違っていないことが多い。当時は何の意味があるのかわからないまま、学んだ岩波文庫、クラシック。美輪明宏、手塚治虫の言う通りに学び続けてきたわけだが、その意味が最近になってわかってきた。やっぱり、世間がいいというものはいいのだ!だからとりあえず、今回もジャロン・ラニアーゴードン・ベルやらのいうことを実践していこうと思う。だから、ブログで発信し続ける。個性ある”不恰好”なウェブサイトで自分を表現し続ける。

ここに不恰好の意味がある。不恰好は大体が効かない。そのぎこちなさにこそ、俺が宿る。君が宿る。そのぎこちない線だけは誰も模倣ができない。だから、そう!一緒に下手なダンスを朝まで踊ろう!下手は走りながら上手くなる。ピクシブで絵がめっちゃうまいやつらも昔の絵を見てごらんよ。わらっちゃうくらい体のパーツの比がおかしいから!そんな感じでさ、おれたちも一緒に笑われようぜ!そうやってさ、プロになってきゃいいじゃん!

だから、飛び込もう!亀田三兄弟になろう!ビッグマウス!上等じゃん!

おれは、プロの芸術家です。だれか俺らにお仕事くださいZ!

越後の星、いっちー



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