Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

ビバラ(ル)・ムハンマド!@仏風刺漫画テロ

La convention nationale

La convention nationale

私たちはみな、おなじ花を見つめ、愛を歌い合う。

 

 

最近ツイッターフェースブック界隈で話題持ちきりのフランス風刺漫画テロ。

 

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
Monsieur l’abbé, je déteste ce que vous écrivez, mais je donnerai ma vie pour que vous puissiez continuer à écrire.

 

最近、当たり障りのないブログを書いていたので、一度、せっかく作ったブログなのだから、硬質とまではいかないまでも、自分の思ったこと、感じたことを、しっかりした形でライフログに残し、自らの立場をはっきりとさせたい。自らの立場をはっきりさせない奴の意見は聞いていて面白くない。リスクを取らない人間の発言はクソだw。と個人的に思っている、という個人的という言葉もクソだw個人的という前置きはいいから、自分を語れよwと思ってしまう僕ちゃんなのでした。右か左か、中道か。末は博士か大臣か。原発賛成か、反対か、第三の道か、いずれにせよ立場を明確にしてほしいものだ。そうすると、案外、楽に建設的な議論ができると思う。

 

基本的におれは、足を使わない自宅警備員ジャーナリストだ。とはいえ論語にもある通り「戸を出でずして、もって天下を知り」という言葉もあるから、遠くからぼんやり眺めることで見えてくるものがあると強く考えている。鴨長明ぶった奴がこの出来事についていろいろ読んで、山の奥からなにか言っている、とおもってくれればそれでよろしい。ネットで取得できる限られたリソースとおれの超個人的主観的ドグマに彩られた想像力とで世情を鼻を掘りながら、時に(頻繁に)右手をコキながらw、天下を大鵬のように睥睨し、自らも自虐的に睥睨し、俯瞰している。以下、そんなおれが書いた記事、けっこう為になると思うので読んでくだせ〜!ちゃいば〜!じゃーね〜(ちきりんの真似をしてみたw)。

 

あ、ちな、おれは基本的にwikiwiki主義者で分散型集合知の可能性を強く信じる者なので、基本的にソースはwiki関係です。ウィキリークスやら、もっぱらWikipediaから取得しています。Wikipediaけしからん!って言う奴がいたら読まなくていいですw(ちな、2005年のネイチャーにおける論文で、ブリタニカとウィキペディアにおける科学関連の記事は同等の正確さを有し、即時性と訂正性を有するwikiに軍配が上がりました。とはいえ、まぁ、ソースも一応、確認できる範囲では、原典URIをチェックしておりますです。はい。)

 

ベルサイユであっちょんぶりけ

ベルサイユであっちょんぶりけ

ではでは、いきましょう!みたい!ききたい!レッツ・ラゴー!(夜もひっぱれ一生懸命より)

 

フランス紙襲撃テロ事件
2015年1月7日午前11時半にフランス・パリにある風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社に覆面をした複数の武装した犯人が押し入って、職員を襲撃して、警官2人、編集長、風刺漫画の担当記者ら合わせて、12人が死亡した事件[1]。 (Wikipedia 2015/1/12付)

内容はいわずものがなだろう。事件経過は上記サイトをはじめとした他社のニュースに譲る。(ちな、いろいろとネットの海にダイブ(主にツイッターのタイムライン)中にみつけて面白かった情報をチラ見せ。)

 

⑴巻き添えにあったパトロールの警官警官アハメド・メラベさんはイスラム教徒だった。へぇ×68
⑵人質をもって立てこもった犯人の状況を、その際に逃げ遅れたおじさんが隠れながら警察に逐次レポート。へぇ×50、まるで映画のようだ。
⑶シャルリー・エブドの購読数が事件後、10000部から16000部に。
イスラム教徒も毎テロ事件の度、”わたしは過激派じゃない、フランス市民だ。同じムスリムとして犯罪を謝罪させられ、彼らの行為を激しく非難する。ビバラ・フランスだ!(ふー、やれやれ)”、とアピールしなければ白い目で見られるのが、本当に疲れる。へぇ×70
⑸シャルリー・エブドとは、シャルリーがシャルル・ド・ゴール(シャルリー・エブドの前身雑誌はハラキリw←日本ディスられてるワロタwww\(^o^)/、この雑誌がドゴールの死を茶化したため不敬罪ととられ、雑誌の発刊を記事られたためそれを皮肉って、シャルル・ドゴールの名にちなみ、シャルルをもじってシャルリーとした。ひょっとしたら今回の事件を受けて、雑誌の名前を預言者の名・エブドなんてのにはしないでくれよ。)(他にもスヌーピーでいう名なピーナッツのチャーリー・ブラウン、漫画誌Charlie Mensuelなども)に由来し、エブドとは、フランス語で、週刊の、という意味がある。へぇ×74
⑹特殊部隊の突入は、犯人が夕方の礼拝をしようと跪(ひざまず)いた時だった。へぇ×65
⑺パリでテロ事件を受けて発生したでも参加者370万人!へぇ×65
⑻中東圏含めた各国首脳が手をつないで連帯しているかに見えるが、それはテロは止めましょう、というだけのものである。いうなれば体制に従いましょう、という冷静な指摘へぇ×50

欧米(日本もね、いわゆる主に西側的な、あまりに西側的な)に共有された表現の自由至上主義、宗教としての笑い。

まぁ、ほかにもトリビアがたくさん見つかったのだが、本筋に戻る。
んで、今回の記事に関して熟読したサイトは以下。

 

そもそもでシャルリー・エブドってどんな雑誌?っていう疑問からはじまった。

国民公会をあっちょんぶりけで風刺する。

 

シャルリー・エブド(仏: Charlie Hebdo)は、フランスの週刊新聞。
左派寄りの風刺新聞であり、イラスト(風刺画)を多用し、フランス国内・フランス国外の極右、カルト教団、カトリック、イスラム教、ユダヤ教、政治 等々に関して、調査報道を行っている。風刺画家のステファヌ・シャルボニエ(フランス語版)によると、その編集方針は「様々な左派の見解、さらには政治参加に無関心な人の見解」を反映すること。(出典「Wikipedia」2015/1/12付け)

しかし、それだけだちょっと詳しい内容がわからんので、もうちょっと頑張ってシャルリー・エブドを調べようと、EnglishのWikipediaで確認したった。

Charlie Hebdo (French pronunciation:  [ʃaʁli ɛbˈdo]; French for Weekly Charlie) is a French satirical weekly newspaper, featuring cartoons, reports, polemics, and jokes. Irreverent and stridently non-conformist in tone, the publication describes itself as strongly anti-racist[3] andleft-wing, publishing articles on the extreme right, Catholicism, Islam,Judaism, politics, culture, etc. According to its former editor Stéphane Charbonnier (“Charb”), the magazine’s editorial viewpoint reflects “all components of left wing pluralism, and even abstainers”.[4](出典「Wikipedia」2015/1/12付け)

まぁ、だいたい日本語のwikiと同じ。それでもまぁ、なんかしっかりこないなぁ、なんかいい記事やブログ上がってこないかなぁ、なんて思いながらツイッター界隈を探っていると、やはり集合知はすごい!建築家アレグザンダーの思想がここまで浸透してきたか!と、感心しつつ、いい記事は必ずバズってアンテナ感度のいい人たちがリツイートをしてくれるという幸せを噛み締める。

おれはそれを取りこぼさないように食べに行くハイエナ・ジャーナリズムを行うばかりだ。昨今のバイラルメディアに近いw?…とまぁ、そんなこんなで発見した詳しいブログ、いや、これが勉強になった↓

 

シャルリー・エブドはレイシストではない(ルモンド紙の記事の翻訳)
(出典「ふつごぽんTMBL」より)

 

はぁ、なるほど、そもそもで日本でこの事件を扱ってなにかしたり顔で物申している人はこのシャルリー・エブドを原書で読んだ人何人くらいいるんだろう?(´・_・`)www

まぁ、人間ってのは、ちょっと知ってることについて語りたがる素人ボクサー的なものだから、おれもそうだし、それでいいのだけど、この原典にあたってないぼくちんという視点だけは”無知の知”ではないが忘れずにいて、本論を進める。

 

日々の雑感 325:
「表現の自由」に名を借りた“暴力”
(フランス「シャルリー・エブド」襲撃事件)
(土井敏邦「WEBコラム」より)

 

そんな中でであったこのブログ、とりわけ、土井さんの記事はしっかりしていて、大鵬のように事件を眺められた気がする。いや、まぁ、してるだけなんだけどw

移民たちがエッフェル塔を100円で売ってます。一個買っちゃいました。

 

おれは、かなり広く全分野をまたがり越境している暇人だけど、やっぱり、知識はめっちゃクソ浅くてwしかたないダメ人間でwイスラム教対キリスト教に見られる東西文明の対立、サミュエル・ハチントンやら、フランシス・フクヤマやら、貧困、移民、差別、文明の崩壊、さらにはおフランスのお伝統芸ざますなカリカチュールの積層(ドーミエグランヴィルゴヤ)、ヴォルテールの徹底した無神論に近い理神論。うんぬんかんぬんのなんでんかんでんで、おれは、こちとら、なんでんかんでんの歴史を追うだけで処理能力が限界だから、東西文明論を論じることはできないが、とりあえず、腰を落ち着けて、このくらいのブログ記事の分量ならば背伸びして、自分を限界まで追い込めば、なんとか熟読はすることができる。それがおれの等身大の身体の能力の限界だw

 

とはいえ、まぁ、おれのタイムラインのTLクラスター界隈で流れてくる冷静で建設的なつぶやきの原典を辿りまくって、バックコンテキストをかるーく、ソフトに把握した上で、まぁ、10記事ちょっと超えたくらいかの記事を読んで、思った事、感じたことを記す。

 

結論から言って、ルーミーの詩とマルセイエーズは共存できるし、共存することを祈る、という非常に良い子、悪い子、普通の子、のような小学生的結論になった。
(まぁ、その具体的案方法は、見たくない人には、(とりわけムスリムには)見せない(ように配慮する)よう公の目に触れない範囲での書籍販売、また電子販売、及びゾーニングとか、もろもろ、手は打てると感じた。また部落wブラックジョークはおれも大好きで、モンティパイソン大好きだってばよ!な俺としても正直、シャルル・エブドはやりすぎだと思いつつ、…(おもしろいなぁ、せめるなぁ。←危険なところに登っていく過程をゴープロで撮影するとか、ざーやくに凸電するとか、そんな怖いもの見たさに近い感覚。))を抱き需要?消費?享受?していたことは否めない事実だ。これは、シャルリー・エブドだけに限ったことではない。人の不幸は蜜の味、ブラックジョークは認知科学的にも快楽をもたらすことは科学的に証明されている。人は、人の不幸を喜び、また人の不幸を悲しみ、また悪人が罰せられると快楽を感じる、そういう生き物だ。それは本能レベルでどうもいかんしがたい。改善できるのは、それを認めた上での話。そこから何ができるかが勝負。とりあえず、こうした議論を認知科学的領域からなぜ争いが起こるのか、なぜメンツを潰されることで人が殺されるのか、そうしたもろもろには統計的にも必然があることも知っておくべきだろう。なぜテロリストに男が多いのか、なぜ男はすぐにちょっとしたことで喧嘩をし命を落とすのか、そうしたレべルの議論もディープラーニングのこれからますます必要になってくるだろう。政治的表現の自由か宗教か、の二者択一と時が経ったら風化する議論とまた事件が起きたら同じことの繰り返しには、もう飽きた。正直お腹いっぱいw新たな視点からの議論をしようじゃないか。ちな、おれは認知科学的領域から、この問題点を論じられるが、それは割愛して、またの機会に、なぜ人は争うかについて論じる。

とりあえず、人は、ブラックジョークを楽しむものだ。それは、諦めの媚態に近い。

やっぱ、正直、面白い。お尻が震える。サーカスが楽しいのも、格闘技を見るのも、同じ原理だ。おれたちはシャルリー・エブドに対し、不買、または反対運動をとらなかった限り、暗黙の肯定をしている。まずはそこからはじめよう。

おれなんかは、すぐ怒られたり、なんか注意されたら、ビビって、自分の意見を面白いように変える転向野郎だから、即座にテロに屈すると思うw

一応、素朴に感じたこととしては、風刺漫画で人を殺すなんて(´・_・`;)というのが率直な感想。別に勝手に風刺させときゃいいじゃん。やっぱ、それよりも言論の自由やったり、報道の自由が守られる方が、大事じゃん、言いたいことを言えない社会はつらたん、という少なくとも俺の世間が大まかに抱いている感想と同じような感想ををこうした事件が起きるたびにいつも脳裏をよぎる。

んで、やっぱりそした、考えを持つこと自体が俺がすでに欧米圏(主に西側諸国)の価値体系にどっぷり浸かっていて、なおかつ日本という世界的に見て異常なくらいに平和な社会に生きているから抱ける平和ボケ(これをいだけることがどれほど幸せなことか!)なわけだが、下記のブログ記事を見てそうした、おれののんびりとした牧歌的な考えはほんと、つくづく重ね重ねありがたいものなのだと思った。

以下抜粋。
私は長い中東取材の中で、たくさんのパレスチナ人やイラク人の敬虔なイスラム教徒を見てきた。彼らにとって、イスラム教とは生活、人生そのものだその聖典である「コーラン(クルアーン)」や預言者モハマド(ムハンマド)が彼らにとって「精神的拠り所であり身命にも等しい」(高林氏)存在なのである。さらにアラブ人は、名誉・尊厳を最も大切にする文化をもった人たちで、そのためなら命さえ投げ出す。そんな彼らが生きる指針とするイスラム教を冒涜することは、彼らの人間としての尊厳と存在そのものを踏みにじることである。それを許すことが「表現の自由」なのか。「WEBブログより引用」(色文字はおれ)

大切な存在、おれにとってのおかん?みたいなものか。おれのなかでもっとも馬鹿にされたら怒るもの、それくらいしかない。んでもって、正直、ここだけの話、おかんが馬鹿にされても、風刺されても、そんなダメージがないwwwんでもって、やっぱ銃もとらないし、殴りもしないだろう。風刺されただけでは(´・_・`;)。

ほかに大事なもの…皇室?とか天皇?とか、マックブック?うーん、違うかwそれを風刺漫画化されたところで、まぁ、そっすか、…お、おう。っていう反応が関の山だ。だって、別に壊されたわけでもなんでもないんだもん。日本の国旗が燃やされても、ちょっとイラっとはくるが、それだけだ。は、はぁ。と言うだけ。

だからとりあえず、孔子でもイエスでもいいが、「己の欲すること人に施すことなかれ」でも、「汝隣人を愛せ」でも、とりあえず、嫌なことはしないほうがよい、くらいしか言えないし、んでもって、さらに、自分がやられたことを考えてみても、ちょっとイラっとするくらいだから、それに対して殺しで報復って…んな…アホな…(´・_・`;)となる。

んで、またブログの記事を読み、改めて自分の思考と考え方のパラダイムがそもそもで異なることに気づく。中途半端に認知科学と人類学を専攻しているから、人間なんてみんな同じで、考え方も俺と同じでたいていの人の思考は共感できる、と考えている俺の思考の限界をことごとく超えていく。アクセルワールド

キリスト教国が「神の福音」の名のもとにアメリカ大陸、アフリカ、アジアへの侵略・植民地化を進めた歴史があるからといって、例えばイラク戦争やアフガニスタン戦争の諷刺としてイエス・キリストを殺人者に例える諷刺画が作られたとしたら(実際、イエスが殺人者なのではない)、あるいはイエスが全裸で尻を突きだしている絵が描かれたとしたら、はたまた「聖書は糞」などと呼ばれたとしたら、キリスト教徒はそれを「表現の自由」だといって擁護できるのだろうか?「WEBブログの中で紹介された、高林敏之氏(西サハラ問題研究室主宰・早稲田大学理工学術院非常勤講師)のブログより引用」(色文字は筆者)

やはり、これを読んでも、そもそもで自分がされたことを想定してみても、俺の想像力がみみっちいのか、あんたあの娘のなんなのさ、なのか、あんたがたどこさ、熊本さ、熊本どこさ、と(たとえ熊本でなくて、新潟が)ディスられても、やっぱり、は、はぁ、この人とは友だちになりたくないなぁ、そそそ〜っとそばを離れて、それで終わりだ。ターン・エンドだ

まぁ、しかたねぇーよ、そういう人いるよ、世界は広いしさぁ、いんじゃね?ほっとき、となる。なってしまうのだ、自分は。これは、自分のライフログとしてつけている。ついでに公開して、なにか有意義で建設的な意見があれば、それを拝聴し、自らのたましいを変える、そのためにつけているので、もしなにか風刺で自分がイラっとくるようなものがあれば教えてくれると助かる!いまんところ、ない。それは、おれが日本という素晴らしい多神教のクニに住んでいるからなのだろう。記事を読んでそう思った。それに、すでにものごころのつく、多感な時期に、”がんがんいこうぜ”教育よりも”いのちだいじに”教育を延々受けさせられてるし、日教組いたかわかんないけれども(あ、でも朝日新聞の天声人語勧めてたやついたから、いたのかな?わからん。わからんことには口をつぐむ。うむ。)、話を戻して、学校、家庭、テレビ、ジャンプ的な努力・友情・勝利、ジブリ全般に見られる、とりわけもののけ姫に顕著な(ラピュタ、トトロ)”いのちだいじに”ドラマツルギーが、ゲーム(ドラクエ、FF、その時期のほぼすべてのRPG)、ラノベありとあらゆるメディアで散見され、おれに影響を与え、今のおれを頑強に形作っているから、やっぱり、情けなくも、おれのドグマは、風刺漫画<言論の自由<生命(財産)となってしまう。

欧米の美の基準にあっちょんぶりけで大胆に宣戦布告

欧米の美の極致にあっちょんぶりけで大胆にも宣戦布告

…となると、やはり欧米側というかなんか権力側と同じ結論になるのが、なんか嫌なのだが、ともすると、報道と言論の自由を守るということが体制側を補完する論理に加担しているような気も感じられなくもない。間違った解釈ではないけれども、少し行き過ぎ感も感じつつ、論理のすり替え臭はファブリーズうっときゃ大丈夫ってなもんでもないし黙殺、圧殺される声なき声にも耳を傾けたいアンコンシャスヒッポクリットな自分もいて、あぁ、ほんと、政治ってやだな、巻き込まれたら必ず踏み絵を踏んでどっちかに属さなきゃいけなくなるし、第三の立場の塀の上に立っていたくても、限りなくどっちかって判断をいつも強いられる。んなもん、ケースバイケースだっつーの(ジャイアン風)!

とはいえ、まだ残るしこりのような違和感。そもそも風刺ってなんだwここまで論じてきて、原則論に戻る自分はやっぱり浅はかだなぁ、とはいえ、原理原則、言葉の使い方をただす、というのは、孔子の教えにあるし、ソシュール、フーコーに然りだ。まずは名を正せ。

風刺(出典「Wikipedia」2015/1/12付け)

風刺漫画(出典「Wikipedia」2015/1/12付け)

まぁ、おれが普段から使う、一般的な意味でおおかた合っていた。とはいえ、言葉を自分なりに定義して用いることは大事なことだから、自分で定義してみると、

 

風刺とは、「(力、経済、情報の非対称性下において)権力者に対して名もなき小さな市民が”笑えない”ことを諦めと希望と批判をもって笑うこと」だ。

これが俺の中での”正しい”風刺の定義である。そのため、今回のシャルリー・エブドは俺の定義では”風刺”とはならないね。表現の自由の拡大であって、大変面白くて、尖っていて、下卑たゲロとクソが入り混じった現代パリっ子の好むユーモアふんだんにうんこもりもりに盛られたエスプリのゴミみたいな自由の表現の極致漫画で大変ブラボーであったが、風刺ではなかったね。

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ん!?これはもしや!!

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ばばーーーーん!!!

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パリの街では、鳩でさえクソのようなエスプリをしかけてきて、ぼくを笑わせてくれました。

 

シャルリー・エブドはレイシストではない(ルモンド紙の記事の翻訳)
(出典「ふつごぽんTMBL」より)

とはいえ、先のブログで示した通り、彼らの雑誌が行ってきたことはイスラムの”風刺”だけではないし、数多の社会に対する貢献があったことも事実なのだろう。そして、笑えないことのある社会は不幸だ、とも俺は強く思う。モンティパイソンのない社会、なんてつまらないんだろう!ブラックジョーク!おぉ、それなくしてはわれは生きられず!

「東京新聞」(1月9日版)で紹介している日本人イスラム教徒の下山茂氏の『風刺というのは弱い立場の人が権力者をからかうもの。そうでない人を傷つけたり、おとしめたりするのは、パロディと言えないのでは』という言葉の方がよほど核心をついている。「WEBブログより引用」(色文字、筆者中、またパロディと風刺は同一概念ではない。風刺の方がメタである。つまり、包括領域が広い。)

この言葉が端的に今回の様相をまとめている。今回のシャルリー・エブドを認めることは在特会、その他もろもろのヘイトスピーチを認めることだ。だって、それが表現の自由ってことになるじゃん。弱いものいじめ、それは表現の自由ではなく、弱いものいじめだ。

まとめよう。今回の事件の落とし所。

フランスはイギリスのユーモアに学べw

イスラムの過激派は、銃でなく、肉の拳で相手をフルボッコにしろ。それと神の名を用いて関係のない奴を巻き込むな、結果が手段を正当化するのはわかるが、それだと、攻殻機動隊の合田一人と一緒になるぞ。テロリストはクゼたれ!葵たれ!そうしたら応援するよwww

コミケも同じ。思想警察はいらない。児童ポルノでなく、児童虐待記録物を取り締まれ。非実在児童を追うな。現実のコゼットとソーニャを救えや!ぼけ!

 

表現の自由か!?宗教はタブーか!?

 

表現の自由だ!そうだー!

宗教というか人が尊んでいるのもを汚すなぁ!そうだー!

どっちだ〜www

 

 

結論

時と場合による!

 

どん!

おあとがよろしいようで〜♪

フランスの縮図

フランスの縮図

追記

【結論@フランス風刺漫画】おれはイスラムもフランスも好きだ。ルーミーの詩、けっきょくこれに尽きるし、ピンチの時はフランス市民みんなで、カサブランカのようにマルセイエーズを歌うことを強く、強く、強〜〜〜〜〜〜く望みます

 

در راه طلب عاقل و دیوانه یکی است
در شیوه‌ی عشق خویش و بیگانه یکی است
آن را که شراب وصل جانان دادند
در مذهب او کعبه و بتخانه یکی است

Quatrain 305

On the seeker’s path, wise men and fools are one.
In His love, brothers and strangers are one.
Go on! Drink the wine of the Beloved!
In that faith, Muslims and pagans are one. [67](Wikipedia 2015/1/12付)

真理の小道で出会ったら、賢者も愚者も同じもの。
神の御前じゃ、兄者も弟者もよそ者も。
飲めや!歌えや!どんちゃん騒ぎ!飲み干せ、この愛しきぶどう酒を。
信じるものは皆同じ、ムスリム、異教も関係ない。

 

そうなのだ、フランス、フランスならそれができるはず!おれは遠くの超平和バスターズな島国で祈ってます。そもそもで祈ることしかでいないし。まぁ、ブログを書くことしかできないけどwとりあえず、亡くなった方、傷ついた方、遺族のみなさんに哀悼の意を表します。そして、やっぱり、ぼくはこう思うんです。

 

ビバラ(ル)・ムハンマド!

 

フランスならできると思います。がんば!(厨二病でめんご)

越後スター、いっちー


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俺の脳髄をミニ四駆みたいに改造したい方へ

コメント

  • 俺も未だに「贖罪とかどうでもよくね?イブがリンゴ食ったのも、キリストが罪を背負って死んだのも、今の人が気にすることないじゃん」て考えなんだけど、
    身近で原理主義的なクリスチャン見てて思ったのは、
    その人たちにとって宗教ってのは自分の命より大切なものなんだよね。
    それはもう依存でなくて、奴隷なんだよ。
    信仰の対象がこの世の全てで、それを守るためなら自分の命はなんとも思わない。
    むしろそのために死ねることが幸せなんだわ。
    原理主義的な人たちにとって、今生きてる世界ってのはあまり意味がなくて、そのあとに待ってる永遠に続く天国に価値を見いだしててさ。
    多神教で育って、無神論者になった自分にも到底わからない感覚なんだけど、そんな感じなんだよね。
    原理主義的な人と話しすると、頭の中の根本が違いすぎて宇宙人と話してるような気分になるよ。
    身近にいたら、失礼承知で深く話してみることをおすすめする!

  • ふとさん

    “原理主義的な人と話しすると、頭の中の根本が違いすぎて宇宙人と話してるような気分になるよ。”っていうコメント、これが真実なんだよなぁ。結局、最後は自分の中で自分の”真理”の灯を静かに燃やし続けるしかなくて、その灯がみんな一緒だったら幸せだなぁ、ってことに尽きるね。こういう建設的なコメント、マジで助かる!ありがとう!

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