紙の本を読まないと人間は確実にバカになる!
鈴木:それともうひとつ提言というか、言っておきたいこと。今、本が売れませんね。でも僕は、本を読まなくなると、人間は本当にバカになる気がしますね。松本:それは、そうですね。
液晶画面でものを考えることはできない
身体論的なのだろう。(同出典、p.4.)
上記の論について、ある程度納得がいく。しかし、すべてにおいて首肯するわけではない。
タブレットでも十分学習できる。究極的には本人のやる気次第なのだ。そして、上記の二者にとっては経験論的に、これまでの成功体験から、紙媒体、そもそも彼らの猛勉強時代に紙ベースだったはずで、それゆえに、紙媒体に馴染みが深いのだろう。
なぜ、紙媒体の方が”しっくり”くるのか。
仮説を立ててみた。
①発光媒体を見ることに慣れていない
人間はそもそも発光媒体を見つめて、学ぶことに慣れていない。発光雨媒体を見つめて、そこから何かを学ぼうと思うようになったのは極めて最近のことであろう。間接光で今まで本を読んできたのだから、人間の生体学的観点から、まだ身体が主として進化していないのだろう。遺伝的プールにはすでに備蓄されているかもしれないが、エジソンからたかだか150年くらいで人間の視覚は進化しないだろう。
②紙の匂い
紙の匂いがしっくりくる。記憶と匂いは直結しているため、嗅ぎ慣れた匂いを嗅ぎながら学習することで、リラックスして学ぶことができ、それがゆえに、記憶に深く残るはずだ。
③手書きで書き込める
手書きで書き込むということはそれだけそのページに長きにわたり、書いている間はその場にとどまるということである。それゆえに、そのことを流さずに、さっと読み飛ばさずに、考えながら書くために、また記憶にしっかりと残る。
④リズム
本をめくるリズムは大事である。これもまたリラックス効果に近いものがある。ランナーズハイではないが、リズムに乗れば人は遠くに行くこともできる。サクサク、軽快に深い記憶にとどめることができる。
⑤慣れ
結局、まだタブレットネイティブ世代でないものは、皆紙媒体ベースで学んでいる。そもそもで人は、本を読まないだろう。かくいう読書量めちゃめちゃ多いと自負している自分でさえも、浪人時代になるまで、本が大嫌いで、読んでいなかったものだ。自分で考え出す人間は勝手に本を読む、というのが私の持論である。本を読むから考えるのではなく、考える素養のあるものだから本を読むのだ。考えさせる人間を増やせば勝手に本を読む人間は増える。
俺がなんで本を読むようになったかといえば、一点、それは高倉健さんに男の顔は活字が作る、ということを言われたからだ。それ以来、私は、高倉健さんのような顔になるために活字を読み込んでいる。
活字とは、まさに、本に活版印刷で押し込まれた活字であり、昔の古本屋で売っているぎゅうっと圧力のかかった活字でなければダメなのだ。最近のコピーのような薄い活字では、ガツンと来ない。重い系の活字、次のページにまでしっかりと刻まれているくらいの活字が丁度良い。
まだまだ他にも理由はあるだろうが、自分も含めオールドメディアに慣れ親しんだ者にとっては、こうした点が主な理由としてあげられるのではないだろうか。
他にも、何か意見があればコメントにいただければ幸いである。
越後スター・いっちー
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