藝を育むまち同好会について
最近、参加させていただいている藝育会のコアバリューについてよく考える。若手アーティストを支援するという目的からもう一歩、具体的にしてみてはどうかというアイディア。
若手アーティストを支援する、ということばはきれいに思えるが感覚として共鳴しづらい部分があるのではないだろうか。そもそも、若手アーティスト支援という文化が根付いていなければざるに水を入れるようなものなのかもしれない。
そして、若手アーティストを支援するという行為自体が働かざる者を支援するというイメージもついているのかもしれない。好きなことをしている人間を支援する意味を見出せないというのも理解できる。その道に進むのであれば、それくらいの厳しさを覚悟して進むべきだ。全く正論である。
ひとりの人間として考えれば、それは当然で、その人が支援する対象はその人の恣意性に任されるべきだとも思う。
しかしながら、まちに住む投資家として、まして上野というまちで生計を立てていこうと思う人間にとって、アーティストを支援するという行為はまちへの投資となるのではないだろうか。
そして、単にアーティストを支援するだけではなく、アーティストがまちでできる副業、いうなればライスワークとしての舞台を整えてもいいのではないかと思う。メニューやデザイン、教育系のワークショップ、情操教育、感性教育など、若手アーティストをうまくまちの資源として有効活用していく方向もいいと思う。
そして、それを今まで行っていたのが藝育会だったのだが、それがまちにうまく伝わっていなかった。それをもっとより体感を持って共鳴してもらえるようなネーミングとして【アーティストがまちに資する仕組みを作る】ということを考えている。
そして、それは若手アーティストを支援する上野界隈の旦那&女将衆向けであり、藝大生にとっては【藝大生が食べていけるまち】になるとよりイメージが伝わるのではないかと思う。
そんなことをつらつら考えながら、ブログを気ままに書いてみるっていうのも、ひと段落できて怪しうこそ物狂おしけれ。
Culture You!あ~、世界ってほんと美(たの)しい