Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

知ろうとすること 後編


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PREVIOUSLY ON 24 なんつって!

前回の続き。信仰対象として、何を選ぶべきか。悩んだ、というか、実際は悩むまでもなく、身体的に居心地の場所を発見し、とりあえずの、その場限りで、俺は科学を信仰しようと決め、その宗派を早野クラスターにしたったwwwって話。



 

『知ろうとすること』(糸井重里・早野龍五著/新潮社)を読んだ。

結論から言って…

福島安全。正しく怖がれ。子ども産めるよ。問題ナッシング!ばっちぐー!

ってこと。まぁ、ありきたりな結論だ。でも、これが現在一番正しい真理だと俺は思う。米袋1000万袋(桁がおかしいwこの気の遠くなるような努力、神w)を世界最強の安全基準で検査するとか、もう、そんなことされて、データを示されたら、お腹いっぱいだ。

 

印象的なところをあげて、俺の色を付けて以下、紹介。

早野さんと糸井さんを科学VS非科学で扱わず、両者どちらともその中間的存在として扱っているところ!グッド!振り子の先にナイフをつけて、振り子を振るとする。物理的に距離を計測して、ぎりぎり安全な位置に立っていても、振り子が近づいてきたらやっぱり怖いよね、という感覚としての科学の表現、さすが、糸井さん、おいしい生活、伝え方、最強。うまいっす。(pp.12-13)

科学者、専門家の“冷たい”ことばは、ワイドショーの“熱い”ことばに駆逐されて届かない。

(pp.17-18)

データを取ってグラフにすることが身体に染み付いている物理屋としての習性、ワロタwww
さらに、グラフ公開でフォロワー300から一気に15万、さらにデータ解析クラスタも立ち上がり集合知のバズル感もワロタwww(pp.29-31)

早野先生の学生時代の話、1973年の中国の核実験の汚染をいち早く察知。研究室の汚染と勘違いするくだりは笑いとともに、科学ってやっぱすげぇ、ってなった。(pp.38-40)

市場の食べ物に関しては心配しなくていい!どん!

(裏山のキノコ、丸々イノシシはちょっと…汗) (p.20)

↑(裏山のキノコ、イノシシ、まぁ、お酒と一緒、肝臓悪くした患者が、せんせー、いっぱいだけなら?だいじょぶべか?と尋ねると、医者としては、飲んでは行けません!っと言うべきところだが、まぁ、一杯だけなら…というリスクを踏まえた上での、命の自己決定権と生活の質向上との天秤に賭ける権利。)

↑(内部被曝1ミリシーベルトを越えないようにというもの、わかりやすかった。1ミリシーベルト=セシウム量で5万ベクレル。なので、その5万円(ベクレル)の範囲で家計の収支を諸々やりくりしなさいよ、というもの。その範囲内であれば、その人が親しんできた食文化を否定するまでもなく、食べるな、でなく、ここまでなら食べてもいいよ、というのが、なんかほっこりした。健康上、お酒を飲まない方がいい、とはわかっているものの、飲みたい患者に例える晩酌のビールは秀逸。先の繰り返しになるが、

「晩酌のビール、コップ一杯だけなら、どうですか?」との問いに、「まあね」笑、「しょうがないね」笑、「飲み過ぎないようにね」笑っていうくだり。こりゃ、落語だね。まさに業の肯定。

(pp.79-83))

 

↑これに、普遍性を持たせる出なく、あくまで個人個人の話のケースバイケースに絞っているところが、なんか、釈迦の説法に似たクオリアを俺の脳内に喚起させたのは、なんだったのだろうか。

事故の翌年の2012年度の福島県産の玄米、100ベクレル越えは全体の0.0007%、1000万袋のうちの71袋、そして、その71袋は流通しない。ちな、その中の98.8%のお米が25ベクレル以下という。つまり、内部被曝に関しては危険なことはない。(pp85-86)

↑他にも、外より中の方が線量高かったり、二階で寝てたの、一階で寝るようにしたらがくっと減ったり、様々なケースがあって面白かった。

陰膳(学校の給食、一人分をまるまるミキサーにかけて数値をまるまる分析調査、1950年代末から行われ、事業仕分けで一旦中断。最近また、復活。(pp.63-64))

はい。ちゃんと産めます。キリっ!(pp.100)

避難区域21万人を対象に行われたアンケート「こころの健康度・生活習慣に関する調査」結果が、興味深かった。「現在の放射線被ばくで、次世代以降の人への健康影響がどれくらい起こると思いますか」という問い(設問対象者は18万人に24.9%が「可能性は非常に高い」と答え、「やや高い」と答えた人と合わせると48.1%になる、という。福島の避難区域に住む半分近くが被ばくの影響が遺伝するんじゃないかと考えている。という問題がある。

データの検証結果が本当の意味で伝わっていないのは科学コミュニケーションの課題であり、心の安全・安心にはいくらデータを集めても解消はそう容易ではない。

たしかに、もし俺が福島に住んでいたら、頭では安心とわかっていても、心では安心できない気がする。(pp.104-106)

↑これに対して、俺たちにもできることがあった。それは、当事者じゃない立場、俺みたいなやつが、当たり前に、福島?余裕っしょwww!みたいな感じで「大丈夫」と思えて、それを言う側に回る、ということだと、いう。それゆえに、今回の記事を書いてみる気になった、というわけでありんす。

↑また、ふたりのすごいのは、

これがキャンペーンになると嘘くさくなって、説教じみて説得力がなくなると言っているところだ。

もう、これはすごい、なので、説教臭くならないように、安全だ、とほそぼそと言いふらしたいね。(^-^)

甲状腺がんが見つかるのは、大規模な母数を入念に検査をすれば見つかるもの。統計上、韓国が世界で一番、甲状腺がん多いのも、乳がんのエコー検査時についでに、やっちゃいますか、的なノリで甲状腺がんも検査するから、だそうだ。結果、甲状腺がんの患者数が5倍に跳ね上がった。のにはワロタwww。ちな、チェルノブイリのあとに甲状腺がんが増えたのは、4~5年後、なので福島の事故と甲状腺がんを結びつけるのは、これからの調査次第。←とはいえ、それなら、他県と比較すればいいのでは?という話では?←甲状腺がんはリスクの低い、進行の遅いがんで、他のガンと違い、見つかったらよかったね、と簡単にはいかず、万が一みつかって除去した場合には、以後、既住歴にがんと記載されるため生命保険やらなんやら様々なところに影響が出てしまうため、大々的に全国で検査しましょう、とはならない。

↑なるほど!そうなのか。ふむふむ。ものごとは複合的なのだなぁ。やっぱり。

ベイビースキャンは科学的には必要のないもの。同じ食事を食べているオトナを調べればわかることだから。とはいえ、先の科学コミュニケーションの問題はここにある。心の不安を解消するには、これはなくてはならない機械だ。子どもは、やっぱ、心配だよ、子どもいないけど、一番懸念なのはそこだと思う。(p.122)

カリウム40は常に人体の中にあって、それがベイビースキャンの時に検出される。オトナであれば1年間に0.2ミリシーベルトぐらい内部被曝している。カリウムは、身体の中で細胞膜の信号伝達に達する役割を担っていて、なくてはならないもので、カルシウム、ナトリウムという元素とともに体内で一定の割合で保たれていることが非常に重要、と、ここで、あー!生物の時間にやった、あいつかぁぁああああーーー!!!とカリウムを思い出す。カリウム、すべての地上のカリウムのうち0.0117%がカリウム40という放射性同位体。これどうやって測ったんだか気になるw(pp.127-130)

以降、p.148まで宇宙物理学の観点から、すいへーりーべぼくのふね…が生成される超新星爆発等が紹介され、私たち自身も星屑のチップの集合体であることが意識され、なんだか宗教的、神秘的、崇高な気分になってくるwまぁ、「ソフィーの手紙」のラストを強烈に思い出したかな。

↑とはいえ、人間は擬人化を通じてしか、世界を見れないから、数式を用いまくる物理は訓練を経ないとイメージができない。文学を通じてなら、知識がなくても理解できる、という糸井さんのことばはたしかに!と思った。擬人化して物語られなければ、多忙な毎日を送る一般の市民には届かないのかもしれない。八谷先生の原発うんちが届いたのも擬人化がその効力を発揮したためだろう。

そして、最後はまんま引用したい。糸井さんの2011年のツイートだ。

『ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。』

うん。正論だと思う。

まぁ、選ぶって、ところを信じる、ってことにも書き換え可能なのかなぁ、なんて俺は思う。

最終的には科学、科学、最強!最強!っていってる俺だが、心の底で、ぼんやりと日本教の神髄である、お天道様を信じてるわけだけ。だから、科学的に安全、ってなって、もうほんと、データ的には超安全(なんだとはいってないのだが、そう汲み取れるかも、不立文字的なね、察しろよ、そこは…の世界)でも、万が一は個人には確実に起こる。それが原発か、またそのストレスか、個人の生活習慣の問題かは、もう科学の域を離れるというか、科学は、そのお天道様の領域までは踏み込まない。というか、踏み込めない。踏み込んだら科学じゃないもん。科学は、なんといったって、その再現性、反証性に重きを置く(かーる・ぽぱー曰くの)っつーの(ジャイアン風)。

結局、何を信じるか…自分で考え、自分で決めろ、ってことに尽きる。

よく巷できく、どうしてくれるんだ!?信じたのに!?責任とってよ!とかいう罵詈雑言、抗議、遠吠え。信じた自分にも責任がありはしなかったか。目先の利益に我を失いはしなかったか、綺麗なバラには刺がなかったか、確認したか?

科学の知識がなければ学べ。だが、ご多用中恐縮な多くの市民にそれを求めるのはあまりにも酷だ。第一、俺だってそんな原子物理の知識はない。だから、自分にできることは、きっと、ぼんやり、科学の知識を蓄えつつ、その場、その場で、先に上げた糸井重里のことばの通りの指針に基づいてゴーストのささやきにしたがいながら、自分の直感で信じる人を見つけて、信じ抜く、ってことしかできないんだ、と今は思う。そして、信じた責任を他に擦りつけず、自分で背負う。よしんば騙されても黙って自らに反省の材料とするしかない。

また、科学コミュニケーションが問題となるならば、やはり、そこは俺の出番だと思う。専門家のハイレベルで難解なターム(専門用語)をお茶の間でワイドショー見ながらポテチ食ってる(おかんみたいなw)主婦に届けること、それこそが今の俺の使命だと考える。だから、ブログを書いてみたったw

とりあえず、まぁ、福島、安全です\(^o^)/ももたべたいなう。

一ノ瀬健太

勝手に超まとめ
①業の肯定
②自分で信じた責任を負う
③氷のような情熱に寄り添う
④とりあえず、福島安全\(^o^)/よかった笑
⑤第三文化をつなぐ科学コミュニケーターに俺はなる!




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