Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

ミル姉の衝撃wwwwwww!!!



山梨の少年の家

山梨の少年の家

Youtubeでファンを増やす動画しらみつぶしに見ていたら、関連動画に笑う犬の生活関連が浮上してきた。以前、新歓コンパではっぱ隊を踊ったことがあったからその懐かしい思い出も相成ってしばし見ていた。

そこにあったミル姉さんというものを見て衝撃をウケた。

当時も笑う犬は見ていたのだが、当時の俺は笑うイ犬の反対のチャンネルを見ていたと記憶する。笑う犬の笑いが当時の俺にはさっぱりわからなかった。いうなれば感性が鈍かったのかもしれない。ホリケンがまったく面白くなく、そうしたノリが意味不明でわからなかったわけだ。翌日のクラスの話題は、笑う犬か、反対のチャンネルの番組の話題で持ち切りだった。とはいえ、まったく笑う犬を見なかったわけじゃない。笑う犬に関しては、反対の番組の見たいコーナーが終わってから、ほぼ番組の終わりかけに途中参加していた。

ミル姉もちらと知り、少しは見ていたが、ホリケンのせいでw、ウン!ウン!ウン!ウン!うなるミル姉に同じ臭いを感じ、笑う犬全体がクソつまんないものである、という全体を鑑賞する以前に勝手な印象を抱き、それをはたと信じて疑わなかった。その時の俺は、まだプレイヤーでなく、リスクをとらないクレイマー×クレイマーで、当時、俺が新潟一面白い中学生と信じて疑わなかったから、練りに練られたコントも安易な即興に感じられて、まったく売れている人気も、それを支持するクラスメートも頭がおかしいんじゃないか、と本気で思っていた。

今、表現者として、ひしひしと感じていることは、意外に俺は打たれ弱いのだな、ということだ。マジでガラスのハートだ。ハートはハートでも防弾ガラスのハートならよかったのに。

表現者として、やりたいことは、“時の淘汰に耐えたものを語り継ぐこと”だ。

それを毎日味わいながら、それを紹介することで自分もご飯が食べていけたらいいな、なんて考え、YouTubeでそうした“よきコンテンツ”を紹介する動画を作る、とプランを練っていたら、この動画に打ち当たった。

中学の頃、ミル姉は知っていた。本気で見たこと等一度もなかった。どうせたかがホリケンの笑いの延長みたいなもんだろう。食わず嫌いはやっぱり良くなかったが、当時の俺が真剣にみたところでミル姉の凄さなどわかるはずがないから、この時はこれでいい。

今、気付けた。それが大事なことなんだ。

だが、こんなに奥が深くて、内村光良という男の教養の深さと演技力と勇気に気付かされ圧倒された。その分野の人間の凄さを一番知っている人間は、その分野の第一線の人たちだと思う。俺ですら、ウッチャンの凄さをひしひしと感じているのだから、お笑い芸人はよりその凄みを感じているはずだ。

ミル姉は、俺がやりたかったことを、そのまま具現化していた。

やりたいことをおもしろおかしく普くの層に伝える。ミル姉を見てそこで紹介された映画を見た人は実際極めて少数だろう。だが、そこはブラウン管、大規模な層に届いているから、視聴者の一人かそこらは、必ず還元的感化を受けて元ネタの映画にあたったはずである。三船敏郎のものまね、志村喬のものまね、今にして思えば、中学生かそこらの俺がそんなモノマネをみてもわかろうはずもないのだが、今見ると、ミル姉はとっても沁みる。その元ネタを知るものには、深いところでやけどの時のお風呂くらいに沁みる。

また、昨日見た、日本戦後サブカルチャー史も相成って、やっぱり、表現することって、改めて、恥ずかしいことなんだなぁ、って悟った。けど、その恥ずかしいを天下に披瀝せざるを得ないのが、芸人の性なのだと気付いた。

芸人とは、己の恥を売る商売である。

俺もおととい、ゴッドファザーのマーロン・ブランドのモノマネをしてYouTubeにあげたばかりである。うまくモノマネできるとなんか楽しい。ちなみに、今日あげた動画はこれ。↓これがたしかにやりたいことだけど、たしかにまだ全然ミル姉のように芸が足りてない。おそらく、誰も最後までみないで離れてしまうんじゃないかと感じている。少しづつ、成長しながらいい方法を模索していきたい。ヒカキンのように顔芸に走ってみようとも考える。

好きなことをやって、それをウケてくれるファンがいる。そのサイクルがあって芸人は成り立つ。してみると芸人も、職人も、サラリーマンも、学校の先生も、お医者さんも、みながみな芸人に見えてくる。

典型的で、目に見えやすい形としてお笑い芸人が一番芸人っぽいが、鳥の目から眺めればみな自分の芸でもって生活している。

必要とされる芸が代替可能ならば価格は安くなる。派遣とかはそのたぐいであろうし、医者は希少性が高いからその分、給料も高い。代替性、希少性の差はあれ、各人が自らの芸を売って生活している。求められれば求められるだけ相場は上がる。人間誰しもが芸人だ。

とりわけ、芸人らしい芸人は、ファンがいるおかげで食べていける。

芸人は、モノを生産しない。芸人が生産するのは、人のこことの動きだ。芸人は喜怒哀楽を売る。自分のスタイルとしては、感動を生み出せる芸人は一番尊い。自分も感動を生み出して、人を“改造”できるような、還元的感化を及ぼせるような芸術家になりたい。

とりあえず、やっぱプロは凄い。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、双方が出てる夢で逢えたら、笑う犬、ダウンタウンのごっつええ感じ、インパルス、笑い飯…、プロってやっぱり凄いし、自分が演じてみてその経験値の隔たりがめちゃくちゃ良く解った。ヒソカとゴンではないけど、相手の力がめちゃくちゃ凄いのが解る。本気の厚みが格段に違う。

やっぱ、芸人ってくそすげぇや。

 

今はただ、精進あるのみ。 

一ノ瀬健太







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