Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

教養について

世界には楽しい本が盛りだくさん!

世界には楽しい本が盛りだくさん!

久しぶりに作業がひと段落したので、思ったことなど。

最近、教養ということについてまた考え出している。結論から言って、

教養とは、巨人の肩に”自覚的”に乗ること、だと考えてる。

別の言い方をすれば、

想像力をもって、自らの存在と他の森羅万象の存在を紡ぐ力、だと考えている。

要は、何度も繰り返しになって申し訳ないが、吉野源三郎「君たちはどう生きるか(1935年の本!!)」にpp.84~98にでてくる、「人間分子の関係、網目の法則」を思い浮かべてもらえたら幸いだ。この本は当時の受験勉強ばっかりやって机上の空論を振り回し振り回してばっかりいたエリート向けに書かれたものである。

近代以降の教育制度と官僚制度は、大変に有効でそのおかげで日本はなんとか日清・日露に勝って万歳わっしょい\(^o^)/となったわけだが、満州事変が起きて、あれ、これ、なんかおかしくね?と日本に住む当時の意識高い系から意識低い系が思い出した頃に警鐘を鳴らした作品でもある。

エリートはしばしば机上の空論に生きる。夢を語る。エリートは理想を語り、空を見上げてばかりいる。結果、道端の石ころ、と路傍の花と崖に気づかず転落する。良きエリートの場合ならば、堕落論かロマン・ロランでも読んでいたため、それが保険となり、復活もあるが、身体知化した知識と狭い世界のみにしか生きられないエリートは自殺を選ぶ。


なぜ、そうなるか?なぜ、そういうことがわかるか?それは私がエリートだからである。イートン校出身の英国紳士ではないが、そこ出身の友達くらいはいる。彼らに尊敬されてやまない私は、いつも武士道を諳んじ彼らを驚かしている。武士道とシェークスピアの暗唱、まぁ、ブラウニングとか、ソローとか、暗唱できるってことで、どれだけ甘い汁を吸ってきたことだろうw

まぁ、それくらい当然ではある、とする明治の元勲くらいの自負はある。平生はニートであるが、大鵬のごとく毎日を逍遥している。燕雀いずくんぞ、というやつだ。田舎紳士のごとく、入鄽垂手(にってんすいしゅ)のごとく、小林秀雄が目指した隠居の ごとく、私は近しい人に道を説いている。それで生計を立てている、と言いたいところであるが、月収はまだ6000円である。もし目利きの保護者の方がいて、子弟の教育を私にまかせたいとおっしゃる方がいらしたら是非連絡をいただければ幸いである。家庭教師も最近視野に入れている。エリートの家庭教師である。時給もいいし、インパクトファクターおよび、文化的ミームを後世に残せる確率が高いからだ。わたしはちょっとおっちょこちょいな笑い男を目指している。

とはいえ、エリートだけがこの国を変えるわけではない。というか、現行統治機構では変えられないことがほとんどだ。最強スペックと私でさえ尊敬してやまない霞が関の友人たちは毎日汗水を流して、深夜まで働き、組織の不条理の前で自身を律して活動している。

システムの根っこを決めるのは官僚ではなく、政治家で、その政治家を決めるのが国民であり、市民である。その市民の育成・練成もまたわたしの課題でありで、福沢諭吉曰くの独立した市民が、自らで教養を学び、反知性主義に与せず、メディアリ・テラシーを学び、自身で小さな声を発信し、アーカイブして、そうした独立した市民同士が連帯してこそ、霞が関組がのびのびと働ける土壌が整備される。いうて、いうて、花咲く日本の桜の土壌は、こころやさしき市民が作る。

この市民の練成、これでしばらくは食べていきたいと考えている。月収10万円!稼ぐぞ!うっほい!

ちなみに、エリートの教育も行いつつ、一般の市民の子どもも教える、同時並行的に、室井管理官と織田裕二は同時並行的に教育されなければならない。さらにいえば、エリートとリーダー教育を施さなければ人間はダメになる。人を頼り、自らで考えないようになる。わかるとは苦労することである。原発、憲法、そのどれも原典にあたった人はいますか?

だから、エリートは、リーダーは、オリジナルに、原典に当たらなければならない。当たって、その後で自分で考えて、疑って、決断して、人を導いていく。それはとても責任が伴うことだ。重大な責任と決断力、昔は黙って俺に着いてこいでよかったかもしれないが、みながスマホをもって理論的武装・自衛ができるのならば、意見して、議論して、それでも俺に着いてこい!という行動力が必要とされる。

リーダー教育は万人に施され得るべきだ。適材適所という考えがあるが、それはみながリーダー的視点をもって、その状況の役割の中においてベストを尽くすからこそ十分に機能するものだろう。依存して、上(宇宙ではこの概念はなくなるから、中央とでもしておこうかな)から指示があるまでだべったり、たむろしていたり、していては、組織は攻勢の機関たれないだろう。

「人間分子関係、網目の法則」とは、君たちはどう生きるか、(pp.84~98)に記載されているコペル君がオーストラリアの牛から自分の口に入るまでの過程を想像力で考えた存在の連関的連なりである。具体的には、「(一)粉ミルクが日本に来るまで。牛、牛の世話をする人、乳をしぼる人、それを工場に運ぶ人、工場で粉ミルクにする人、かんにつめる人、かんを荷造りする人、それをトラックかなんかで鉄道に運ぶ人、汽車に積みこむ人、汽車を動かす人、汽車から港へ運ぶ人、汽船に積みこむ人、汽船を動かす人。(二)(以下略)」と続く。

エリートに「人間分子の関係、網目の法則」を教えることは、生産物が自らの元に届く中間項、いうなれば万物のメディアを想像するきっかけを与える。それが机上の空論に基づいた妄想に制御をかけることにつながり、また小さき声に耳を澄ます契機にもなるだろう。

今、わたしはパソコンを打っている。このパソコンが誰の手によって運ばれてきたのか、このパソコンを駆動しているOSを誰が作ったのか、そしてこの原動力たる電気はどこから来るのか?火力か?原発か?今、全国の原発が全停止しているのは知っていますか?それは本当ですか?

原発事故調のわかりやすいサイトを知っていますか?早野龍五を知っていますか?

パソコンがどういう仕組みで動いているのか?マシン語ってなに?シャノン・ノイマン・チューリング・ヴァネヴァー・ブッシュ、テッド・ネルソン・ビルゲイツ・スティーブ・ジョブズ。

では、その機会の物質はどこから来ている?鉄?アルミ?プラスチック?新素材?特許とかとってあるのか。WiFi、無線、ラジオ、電話、たった一台のパソコンの周囲を少しだけ論じるだけで、どんなに紙幅があっても足りないだろう。アンドリュー・ワイルズだってびっくりだろう!

そして、今言及したどの領域においても巨人の肩に”自覚的に”乗ってきた人間たちが歴史を築き、真理の階段の礎となってきた。スティーブ・ジョブズもすでに階段の一部となった。彼らに敬意を抱きつつ、ジェットストリームアタックのように、”俺を踏み台にしたな?!”と言わしめて高みへと私たちは登っていかねばならない。

・・・どこへ?クォヴァディス?とりあえず、良い方向へw

こんなにも多くの人が小型テレビ局をもった時代はなかっただろう。素晴らしい知識や先人たちの遺産は、望めばすぐに手に入るのに、どうして私たちははじめしゃちょーを見て、AKBやエグザイルを聴いてばかりいるのだろう。おれの藝塾のメディア・リテラシーの講義だって放送されてるのにw(キーっ!くやしい!)

メディア・リテラシーはまったく機能していない、というと語弊があるが、まだまだ浸透しきっていない。ディケンズは二都物語の冒頭、こう述べている。いつの世も最良の時代であり、最悪の時代であった。私はこう続けよう。いつの世も最高に素晴らしい時代であり、最悪にくそったれな時代だ。いつの世もメディア・リテラシーの時代だし、いつの世も反知性主義の時代だ、と。とはいえ、やはり、これまでの人類の歴史を振り返ればやっぱり良い方向に変容(ポストモダン的に進歩ということばをあえてつかっていましぇ~~~ん!は~いとぅいまて~ん!)しているだろう。

空間を補うこと、想像力を働かせ、そこに至る過程を想起すること、自らの起源を探ることと未来を思うことはどちらも同じことなのだ。微妙に脳生理学的に異なるのだけど、まぁ、そこに不在を読む込むぶんには同じだといっていいだろう。

教養を身につけよう。読書をしよう。消毒されたスマホに肥沃なインターネット文化はない。プラットフォームをアマゾン、アップル、グーグルに抑えられたらLO的な書籍は販売できなくなるおー(・Д・)ノ

そして最も情報の載ったメディアに触れよう。それは自然!ではなく、それはに番目に情報量の多いメディアです!第1位はなにか?それは、やっぱり人だ。私であり、あなたなのだ。わたしとあなたが最古にして最新で最強のメディアなのだ。

人と交わろう。異分野の人と交わろう。空白の想像力で補われるべきメディアに新鮮な空気と血が通う。素晴らしい音楽を聴こう。素晴らしい本を読もう。美輪明宏を読もうw!!(ネタだけどマジで!)

最近は、自分がいいものと思うものは人と違うのではないかと考え、あまりいいものアピールをすることがなかった。というのも、ツイッターでしばしば散見するただ自らの好きなものアピールチャンがものすごく”痛く”見えたからだ。自らで生産することなく、高飛車にdisるだけの批評家にすらなれない中高生のエセ批評家のツイッターを見て、おれも好きなものアピールしたらこうなるのかなぁ、とかなんとか、思っていたけれども、やっぱり、やらなきゃ意味がない。やってみて、痛かったらやめればいいだけのことだ。それと、やっぱり、おれがあなたと同じ最強のメディアならば、おれの好きなもの、嫌いなものを共有することで、なにかを得られる人間がゼロではないわけで、そうした趣味、趣向の垂れ流しボットたろうとも意味が生じる。世界の美しさを少しでも語れるのならば意味がある。そう思うことにした。というか、そう思わねばならない。

なので、私がいいものを紹介して、本稿を締めくくる。きっとみんなそんな良くないとおもってるんだろうなぁ。けど、沁みるんだぁ。

Badfinger-Baby blue

https://www.youtube.com/watch?v=TkA7xQb6uPk

こうした好きなものアピール、これからも続けていきたい!\(^o^)/

越後スター・いっちー

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俺の脳髄をミニ四駆みたいに改造したい方へ

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