Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

謹賀新年ごあいさつ

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新潟の越後の三連星の会こと「越後の会」の様子はこちら。

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一応、文字情報もつけておきますw

謹啓 新年明けましてめでとうございます。

一年の計は元旦にあり、とはよく言われますが、早速、目標の1日1ページマンガを描くということをやっておりません。昨日も実家にいるとしたから、ばあ様の「お茶入ったぞぉぉー」という呼び声が15分に一度は行ったり、という浪人時代からまったく変わらないありがたい光中断が入るので、新年早々、東京に戻ってきました。

新潟は曇天こちらは快晴、生まれながらの新潟人ですが、まさか、新潟があんなに曇天の毎日だとは思ってもみなかったです。記憶にはそんな曇天のイメージは全くなく、美しい雪景色のまち並みしか覚えておりません。記憶とは、得てしてこんなものなのでしょう。過ぎ去れば皆美しいとはよく言ったものです。

さて、そんな新潟から東京に帰ってきて、大切な家族との大切な時間をあえて断ち切って、あえて故郷に錦を飾るために、東京に戻って自分の”藝”を磨こうと思い、新年からの一念発起!を掲げたわけですが、先ほどからガキの使いしか見ておりません。実家では、紅白と時折、ボクシングを見たり、魔娑斗vs.山本キッドの対決を見たり、田中泯さんを見たり、と家にテレビがないので、この時とばかりにザッピングをしながら、Twitterやフェースブックをして、まさに惰民のイデアを体現して過ごした年末年始でした。

さて、やっとブログに向かっているわけですが、今年から、変化に気づかれたでしょうか?

そうです。単純に文字を打ってそれを投稿するのではなく、あえて、マンガにして、語らせているのです。イケダハヤトさんや、他にもたくさんのご飯が食べていけるブロガーの方がいる中で、自分の”売り”はなんだということをめちゃくちゃ考えさせられた結果、やはり自分は紛いなりにも一応、芸大に通っておりますから、一応、絵は描けるわけですし、さらに文章もそこそこかけ、またそこそこ浅いなりにものすごく広い知識を有し、いつも決まって、連載企画を立ち上げたところで、”外圧”がないと決まって途中で放棄してしまう、この”中途半端”こそが自分の売りなのだと改めて気付いた年末年始でした。

毎年、恒例の年末年始に、”新潟の三連星”の間で行われる『越後の会』で、バリバリ活躍する後輩たちからめちゃんこ刺激を受けた次第です。自分の売り、それは、”中途半端”と”パロディ(いい意味でのミーメーシス)”だと覚醒した次第です。

先ほども、漫画を少し書いてみたのですが、やっぱり、パクリになってしまうわけです。昨年はエンブレム問題もありましたから、芸大関係者として著作権やパクリに非常に敏感になっておりました。

そのため、思い切った表現ができなくなっておりました。表現したら炎上が怖い。まんじゅうが怖い。気づけば手足ががんじがらめになり、思ったことが言えなくなっておりました。

思ったことが言えなくなることほど、辛いことはありませんし、何より炭鉱のカナリアである”べき”現代以降の芸術家が”思ったことをそのまま言えない”というのはその存在意義をかなぐり捨てたのも同じようなものです。そんな芸術家はレゾンデートルを放擲したに等しいわけです。

憲法9条、安保法制、皇室に関して、自分は左右さまざまな友人、仲間、恩師などがいらっしゃり、いつも自分の意見を見守ってくれています。情報の非対称性の観点から”答えの出ない”問題に対して何か発言することは必ず、賛否両論があります。そのため、必ず”お叱り”を受けるわけです。しかし、今年はもっと”ラディカル”に発言していきたいと思います。それは表現者としての今年の目標です。

昨年の年末に読んだ赤塚不二夫のバカ田大学、バカボン、レッツラゴン、また赤塚の満州での生い立ちと自身の父と母の思い出を綴った『これでいいのだ』を読み、「”表現”の自由さの心地よさ」を改めて痛感させられた。家族、親、兄弟、会社の上司、仲間、恩師、ネット民、鬼女、これらを抱きしめて自分の思ったことを表明していきたい。

単純に言葉で伝えれば、炎上を招くものも、それを芸術に昇華してしまえば炎上はしない。その昇華の仕方にこそ、芸術家としての品格が問われる。それがメディアだ。赤塚なら炎上しないものが世界にはたくさんある。芸格と品格は一致する。この格を磨いていく年にしたい。

メディア・イズ・メッセージとマクルーハンは語りましたが、このウェブという媒体を疑い、今皆
さんがご覧になっているパソコンかスマホ、またウィンドウズか、マックで変わる”からだの感じ方”の変化に皆さんと一緒になって考えていければと思います。これがいわゆるメディア・リテラシーというものです。

今年は、あえて、今までネガティブにとらえていたこの”中途半端”な学際気質を肯定的なものととらえて、より”中途半端”に世界の美しさ、多様性を存分に味わっていきたいと思います。そして、それを多くの方と、おそらく、誰もそんな見てないと思うので、あなたと、あなたこそとシェアしていけたらなと思っております。

皆さんも今年も目標があるかと思います。それぞれにそれぞれの人生があると、毎年、この時期に一番切実に考えさせられます。もちろん答えは出ません。やはり、いつも上野のホームレスを見て、寒そうだなぁ、と思いつつも何もしない自分の偽善を自覚しながら、新幹線に乗って故郷に帰って、旨い寿司とあったかい家族に囲まれながらこの世の新春を謳歌するわけであります。まさに”罪人”なのですが、私は里見美禰子と同様にわが咎を知るでやんす。

人にお金を出させる面白い話題、面白い個性を発揮していきたいと思います。

まとめ:
”中途半端”を極める。
”メディア(主にマンガ)”を意識して表現する。
いいものは”模倣”しまくる。

偉大なアーティストは盗む(パロディる)のだ。

今年は”それでいいのだ”で行こう!

なので、さっきから、微妙にコマ割りもおかしくはありますが、とりあえず、私は一応、こうして、マンガキャラクターに語らせてきたわけです。

持論を自分のキャラクターに語らせるか、はたまた戯画化した鳥獣に語らせるか、はたまたそれは持論であるのか、それすらも曖昧な無私の境地に逍遥するのです。

本年もウッキウキウッキーな一年を、よろしくお願い申し上げます。 謹白

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