Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

上野で親孝行した話


 

親孝行というものをしてみた、そんな話である。

 

ある日の明け方のことではない。しかし、芥川のようなひねくれ者の愛のカタチのひとつではある。

 

家族とは病理である。とオリパラを一緒に盛り上げている後輩が一言つぶやき、一瞬、phaとなった。京大卒業のニートではなく、fあっ?と意味がわからなかったのだ。彼女の続く言葉を聴き、家族とは良きものという私の前提は根っこからカタストロフィックに崩れた。~であるべき家族像は、われわれの生活の質を極端に下げてしまう場合がある。

 

「リストラされて自殺したお父さんも、偏差値が上がらず旅立つ不幸メールをしてしまった娘も、餅を喉に詰まらせ死んでしまったおじいちゃんも、みんなあるべき像を追いかけたイカロスなんですよね。ふふ。理想の家族ほど最悪なものはないんですよ」と、意味深に語り、その子はJR上野駅公園改札に消えていった。

 

夜の木枯らしが吹き、雑な動物園のイルミネーションを横目に、寛永寺の鐘の音を聴きながら、ブラックジャックのようにうつむき歩くわたしの家族は、理想とはあまりにも程遠かった。それゆえムリリョやプッサンのような聖なる子を演じる必要もなく、アルバイトをしながら6浪ができたのである。

こじんまりと小さく佇む

 

さて、おかんとばあ様が上野に来るという。いつもラインで母の介護のつぶやきに、仕事や制作の合間にいちいち応え、時にはライン通話で愚痴を聞き、母が介護で潰れそうになるのを微力ながら支えている。

 

母は母の母、すなわちばあちゃんを自宅で介護している。介護度はレベル4で、かなり体が動かない状態だ。デイサービスに通う日も、お泊まりも増えた。

 

弟も東京にいるが、めっきり面倒を見ない。おかんと連絡をとってはいるようだが、何をしているかはわからない。おかんとばあ様が東京に来るときは自分がいつもアテンドしている。かれこれ、ずっとひとりで6年間くらいその役目を担ってきた。弟には、おかんの介護を全面的に任せたいとすら思っている。とはいえ、人のいい自分であるから、きっと今のアテンドなんてすっかり根に持ちつつも、分担するんだと思う。やり損と思われるかもしれないが、ここまで育ててくれた膨大な恩をいくばかりか返せるとも思わないが、中江藤樹を見習って、その100分の1くらいは実行したいと思っている。

 

弟と自分、そしておかんのライングループがある。いつも面倒臭がりの自分と弟はおかんに東京に来るなという、来ても案内できないからと言い続けているが、ムンク展やらルーベンス展やらフェルメール展やらが、ニュースで新潟にも届くと、おかんの介護疲れが爆発し、突発的に東京にやってくる。

 




 

今回も私が仕事だとあれほどくどく、散々言ったのに来たのだ。もちろん、私が多少無理をすれば時間は作れる。しかし、小津の東京物語は真実で、仕事や制作に時間を使いたいというのが正直なところで、億劫だから、本当は来ないで欲しいのだが、来てしまえば、案内せざるを得ない。なんていったって、新幹線で来るわけで、その分費用もかかっているから、貧乏根性むき出しの私にとっては、元を取らねばなるまい、と思い、身体に鞭打ち、アテンドを結局やってしまう。

 

いつもそんな感じで案内をしている。

いた!

この日、案内したのは上野の旦那連中もしばしば使う精養軒。

 

公園改札口で、帰る準備をしつつも、この寒空の下で私を待っていたらしい。湯島で仕事を終えた私は、一応、帰るといっていたおかんに電話したところ、ちょうどいま、改札で帰ろうとしていたという。それなら、ご飯を一緒に食べてから帰ることにしたら?と冗談のつもりで言ったのだが、そうするという。車椅子のばあ様を連れて、一日中上野の山を歩き回ったというのに、その体力には感服する。

 

ここから近くて、ちょっと豪華な場所といえば、思い浮かぶのが精養軒であった。ここからなら、歩いていける。さらに車椅子ということも考え、韻松亭ではないところにした。精養軒は大学の合格した年、今から9年前に一度行ったことがある。万が一、合格しなかった記念にと寄ってオムライスを食べた。

 

ちょっと高いが、ここならご馳走できる。ついでに車椅子でも大丈夫かということを確認するため、精養軒に電話をかけた。ついでに予約もした。

足や手を細やかにちょこちょこ動かしながら進む、ばあ様。精養軒に行くのがうれしいのだ。

 

この予約が実は、この後大間違いであったことに気づかされる。

 

 

おかんとばあ様、ついでにぶり子さんも合流し、精養軒に入ったのだが、案内されるがまま、進むと、9年前とやけに雰囲気が異なる。オムライスを食べたのは昼だったし、かれこれ9年も経てば改装などもしているのだろう、そう言われるままに、奥へ奥へと進んでいった。

 

気づけば、豪華なホテルの最上階レストランのような雰囲気の場所にいた。LEDでない、本物のろうそくが揺らめいている。つい先日噴水広場で開催された、創エネあかりパーク、そこで配られた、石井幹子さんの新刊本で書かれていた、欧米の高級レストラン並みのほんのりした薄明かりの空間。

 

スッ…とウェイターの方が椅子を引いてくれ、どのように座っていいのか、わからないままに、とりあえず、普通に座り、あぁ、こういう時にやっぱりテーブルマナー勉強しておけばよかったなぁ、と後悔しながら、手渡されたメニューを見て、fあっ?と二度見してしまった。

 

コースメニューがすべて、1万円を超えている。ワインなんか頼んだら、そりゃ、もう家賃が払えなくなるレベルである。

おかん、歳をとるにつれ、立川談志に似てくる。

 

おかんとばあ様に動揺を悟られぬよう、堂々とスマホで検索、私が9年前に食べたオムライスはチーズと一緒にどこに消えたのだろうか?

 

 

精養軒のウェブサイトを見てみると、驚きの事実!私が食べたオムライスは精養軒ではあるものの、お隣のカフェラン ランドーレであったのだ。頭の中でリフレインする先ほどの電話。

 

 

”予約ができるのは、グリルフクシマとなっております。”

 

 

あまり、深く考えず、予約できるのなら、それでいいかと、適当にお願いしたのだ。

 

ここまで来て、お店を変えることもできないから、ふるふると福田吉兆のように、震えながらメニューをめくると、なんと!パウチに挟まれた5000円ちょっとのコースがある!地獄に仏とはまさにこれである。

あまりお腹空いてないよね、疲れてるから、俺決めるね、と皆おなじ最安のコースにした。しかし、さすが、元寛永寺の土地である。まだ鬼門が残されていた。

メニューは一品一品の選択制になっており、メインディッシュのメニューで+600円だったり、800円だったりまだまだ加算されていく。こういうところはきっとサービス料とかも10パーセントとか取られちゃうところだ思いつつも、せっかくおかんとばあ様が東京に来たのだし、ばあ様はよく具合が悪くなり、最近も入院を繰り返していたから、ある意味でこれが最期の東京旅行になる可能性が高い。そう思うと、ここでは、せめて好きなオプションで食べさせてやりたいと…顔で笑って心で泣きながら、「好きなもの、食べなせや」と言ってやった。

パンばかり食べるばあ様

 

あとは、私には記憶がない。とりあえず、料理はとても美味しかった。味が深かったことだけは記憶している。薄れゆく記憶の中で撮った写真だけが、私が本当にここにいたのだという証拠である。

 

なんてのは、嘘で、まぁ、覚悟を決めて、美味しくいただきました!今度は、オムライスを食べようと思います!

 

みなさまも、精養軒をお使いになる際はお気をつけください。

 

美味しいデザートたち。

 

今回の予期せぬ出費で忘年会をボツボツキャンセルしておりますが、こういう事情のためですので、温かく見守っていただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

この日の活動の記録写真が、たぁ〜っくさん!とてもよい写真がありますので、ぜひご覧ください!(^-^)

グーグルフォトでさらにより詳細な雰囲気も見られちゃいます!

 




Culture You!あ~、世界ってほんと美(たの)しい

お!なかなかいい記事じゃん!と思われた方はアマゾンでお買い物♪

俺の脳髄をミニ四駆みたいに改造したい方へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA