Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

ニッポンの戦後史=サブカルチャー史

笑い男2.0

笑い男2.0


ニッポン戦後サブカルチャー史という番組を第1回講義から、第10回講義までに清一、一気通貫、ドラドラした。(この時点でお茶の間に教養を届ける気ねぇな、ってのが手に取るようにわかるwまぁ、いい、最近、俺と同等の知性を持つ相手に書くブログでいいんじゃないかなぁ、なんて、思いつつ、お茶の間とハイカルチャーをうろうろ彷徨うよろいしてます。)

見てよかった!クソよかった!一気に富沢章夫、風間俊介のファンになった。正直富沢さんのことは、それまで、あまり知らなかった。また風間俊介さんにしても、金八先生の健一郎役でファビョッてるw奴と言う印象しかなく、またサブカル好きのジャニーズとかなんとかいって、どうせ、サブカル気取りってかっこぶる一番立野悪い似非サブカル野郎なんだろ、そんなんだったら、ぜったい、俺の方がいいコメントできるよー。NHKさんなんで俺を指名しないかなぁー、なんて思ってたはじめの頃、今思えばなんて恥ずかしいのだ。

結論から言って、この番組は戦後史の歴史講義である。

また、富沢さん、この人が一番、サブカルチャーを語るに相応しい人(身銭を切ってモノを所有することで知識を血肉にするという知識の身体化を第一線で続けてきた人、NHKよくみつけたw!!!)であり、また風間さんもまたこの場に極めて相応しい受講生であった。というのも、この風間さんの毎回のコメントが同世代というのもあるのだが、俺と同じ視点で俺と同じ感想を抱き、コメントしているのでものすごく俺の世代を代表する極めて典型的イデアの代弁者でまじビビったw。また番組の後半には、おそらく収録もかなりな予算を使っていて、時間もかけて収録していたっぽい。良質なコンテンツである。その収録期間の間に風間さんが講師の富沢に浅野いにおの「虹ヶ丘幌グラフ」番組の裏で薦めていることも発覚して、俺、風間さんの読んでいるこれも、岡崎京子の「リバーズ・エッジ」もなんも読んでねぇ、と極めて恥ずかしく、自らの知識のなさをまたまた痛感させられた。何が、るねさんすまんだw

ニッポンのサブカルチャー黎明期にタイムスリップする。戦後流入したアメリカのカルチャーの衝撃。海の向こうでは、「ビートニク」という新しいムーブメントが起こり、ロックンロールが全米を席巻する。そして、同時期に、日本でも、若者たちによる新しいカルチャーが生まれていた。「太陽族」って何だ‥‥? 時代の証言者として、作家 石原慎太郎、伝説のラジオ・パーソナリティ 亀渕昭信が登場。(NHKサイトより引用)

サブカルチャー発祥の年を1956年と定める。アメリカのカウンターカルチャーに認め、ビートニク、プレスリー、石原慎太郎を紹介、太陽の季節は映画で見ていたからすんなり入れたが、ビートニクなんてものはまったく聞いたこともなかった。ケルアックやギンズバーグなんて単語も知らなかった。つくづくサブカルに俺は明るい、なんて思っていた自分がクズ過ぎてもうこの時点で、どれどれ、サブカル講義、やってごらん、おじさん、まちがいがあったら指摘して上げるよwという余裕派の上から目線な態度は粉砕させられ、この第一回の中盤で、もう、富沢さん、ゲストのことばにへいへい、ほー、と平伏して、聞き耳をそばだてながら、ノート(evernote)を片手に講義に全魂を注入した。

高度経済成長のさ中、本当にこの国は豊かなのか、と問い続けた、映画界の革命児が現れる。大島渚。和製ヌーベルバーグとも言われた彼の数々の実験は、時代の歪みや安保闘争や学生運動の雰囲気をダイレクトに伝える。60年代、新しいカルチャーは新宿から生まれた。伝説の雑誌「新宿プレイマップ」をガイドに、フーテンが闊歩し、前衛演劇が行われ、JAZZに浸った、沸騰都市新宿がよみがえる。(NHKサイトより引用)

「マンガは子供が読むもの」という常識が覆される。「劇画」ブームの筆頭にあったのが、白土三平の「カムイ伝」だった。差別された忍者や弱者であった農民たちによる権力闘争を軸とした壮大な物語。異端の作品はいかにして全共闘世代のバイブルとなったのか?一方で、白土とは違う形でマンガに革命を起こしたのが、赤塚不二夫だった。「天才バカボン」での実験に次ぐ実験。その当たり前を疑い、前例をぶち壊す、ナンセンスなギャグこそ、時代の映し絵だった。(NHKサイトより引用)

60年代は新宿という街が舞台。大島渚の映画と漫画でこの年代を紐解いていく。1967年の新宿騒乱で若い力は闘争に破れ、猥雑としたフーテン族やヒッピーは街を追われるまでが60年代。大島渚がテクノロジーの進歩で可能になった手持ちカメラを持って社会の暗部を映画で抉り、赤塚不二夫は時代のナンセンスな風をバカボンに見られるギャグ漫画に集約し、世相を風刺した。この時代のツァイトガイストを表彰するメディアはカムイ伝、明日のジョーもこの時代の産物である。新宿が新都心、浄化作戦の開始、新宿がクリーンな街になっていく。石原都政でばきばきの骨抜きにされる、その前にも浄化作戦がやられていたんだなぁ。新宿を拠点に活躍していた寺山修司、蜷川幸雄、新宿ゴールデン街の公園で演劇をしていた唐十郎率いる赤テントも強制排除され、結局、その後の新宿中央公園ゲリラライブで唐十郎は逮捕、1969年新宿西口フォークゲリラは機動隊を動員し実力排除。盛り場としての新宿は終わりを迎える。また唐十郎の捨て台詞が沁みた。

”新宿見ておきゃ今見ておきゃれ、じきに新宿原となる。

学生運動の時代が去り、大阪万博で華々しく幕を開けた70年代。
若者たちの「解放区」となったのが、ラジオの深夜放送だった。砕けた口調で若者たちだけの話題や新しい情報を語りかける番組が衝撃だった。鋭敏な感覚でサブカルチャーを紹介し続けた伝説のDJ林美雄が残したものは?
そして音楽界にも革命が起きる。日本語ロックのはっぴいえんどに、荒井由実の登場。「シラケ世代」とはいわせない70’Sカルチャーの軌跡。(NHKサイトより引用)

「モーレツからビューティフルへ」。60年代の経済至上主義から70年代は生活志向へ。そんな時代の空気を反映し、雑誌カルチャーが花開く。「歩くサブカルチャー」植草甚一を旗印にした「宝島」、アメリカ文化をダイレクトに伝える「ポパイ」など、ネットのない時代、雑誌は人々の様々な欲望に応えた。(NHKサイトより引用)

ヒッピーに熱狂的に支持された伝説の雑誌「ホールアースカタログ」も紹介。雑誌の紙面が物語る、生き方や思想を紐解く。
ここで70年代のはじめ浅間山荘事件など、60年代の闘争の臭いも残滓として残って履いたがすぐに立ち消え、この時代を象徴する若者たちは、政治に関心を示さず、世相を達観して見通すことから、シラケ世代と呼称された。だが、この時代に最も読まれていた雑誌が朝日ジャーナルであったことも忘れてはならず、岩波の世界や、文藝春秋、中央公論もベスト10の上位に入っていた。またそのランキング二位が朝日ジャーナルに次いで、週刊少年マガジンであり、6位が少年サンデーでもあった。

右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン、という時代だったことからも、決して政治に無関心でなかったことが伺える。

政治に無関心というよりも、肉体的を伴うデモや大声をあげる抗議をあまりしなくなったといったほうが正しいような気がする。連合赤軍の事件は、政治運動が極めて下劣で格好の悪いものであるというイメージが刻み込まれてしまったのだろう。セクト主義は端から見たら、目くそ鼻くそで、そいつらが殺し合ったりしていたら、そそそそーっ(千原ジュニアのダッチワイフの滑らない話風)と離れていくのは当たり前だのクラッカー。
70年代はラジオと音楽、雑誌という三つの視点から分析する。

1965年から土居まさるのラジオは、それまでのカタい口調のアナウンサーから大きく逸脱し、親しいタメ語の口調が画期的であった。スポンサーがつかず、自由な番組作りが可能な深夜枠は、深夜という時間概念を生み出す。

また久米宏と同期で、久米に対してコンプレックスを抱いていたTBSアナウンサーの林美雄がパーソナリティを演ずる「パック・イン・タイム」では周縁のサブカルシンガーを紹介し、CRサクセション、頭脳警察、鈴木慶一とムーンライダース、そしてユーミン、タモリ(タモリのラジオ出演初がここ!、しょこたん曰く、凄いアンテナですね!)など、数多の未来のスターたちを紹介しまくった。情報は与えられるものではなく、ミッズからで取りにいくこと。面白いものを紹介することって、そのもので功徳だよなぁ、と俺は思う。
彼の、放送最終回での語りは沁みる。以下抜粋。

決してしゃべりのたくみなアナウンサーではなかったし、人を笑わせるテクニックもそれほど持ち合わせていない。さりとて、人間的魅力も放送上の個性になるほど培われていなかった。

く〜っ、泣かせるぜ!俺から言わせてもらえば、これほど、面白いコンテンツを足を使って探しまくったこと自体が超面白い人間的魅力的個性であると言わざるを得ないだろう。発掘力、実に類いまれなる目利きといわずして何と形容することができるだろうか。
その他にも、フォークの元祖、達者でな、三橋美智也などの紹介もあって面白い。
また雑誌、都会的な雰囲気を求めるシティボーイ雑誌としての、宝島(デザインと言う思想)、ポパイ(無思想と言う思想)の二大雑誌の存在。平凡パンチ、遊(松岡正剛)など、雑誌の持つエネルギーが見ていてものすごく伝わってくる。また活字のみのスタイルからグラフやイラスト等のデザインにもメッセージが宿らせる。まさに、マクルーハン!メディア・イズ・メッセージ。

そして、あの伝説的「ウォール・アース・カタログ」からヒッピー文化が紹介され、スクリーンセイバーが麻薬をやったヒッピーのサイケデリック文化そのものというのは、くそ面白いトリビアだったw

アンアン。ぴあ。平野甲賀、アートディレクション。ロッキンオン。またすべて読者投稿からなるポンプは投稿者の住所を載せ、連絡が取り合える現在のオフ会も可能な土壌を醸成していたw先取りし過ぎw
サブ(毎号、赤瀬川原平、横尾忠則など気鋭のクリエイターがワンテーマのカルトな記事を投稿。)、だぶだぼ(ヒッピーカルチャー。雑誌のサイズもカメレオンのように変えていった。)、面白半分(野坂昭如、筒井康隆、当時の人気作家が半年ごとに編集長を歴任。面白くてためにならない雑誌を目指した。)

80年代、ニッポンを席巻したYMO。「テクノ」とは何だったのか?YMOのコンセプトとは? 細野晴臣、高橋幸宏が証言する。同時期に、日本のファッションデザイナーが世界に衝撃を与え、DCブランドが全盛を迎える。若者を中心にファッション狂想曲ともいえるブームに。「バブルで踊った」「軽チャー」などと喧伝される時代だが、サブカルチャー史的には、大きな変換期でもあった。一方で、つくば科学博でのイベントや未来を描いたアニメなどに、きらびやかではない、廃墟のようなイメージが蔓延していく。未来は美しいだけではない、という感覚。その意味を考察する。(NHKサイトより引用)

「不思議大好き」「おいしい生活」…80年代、一世を風靡した広告のコピーだ。商品を宣伝するだけではないイメージCMやナンセンスCMが次々と登場し、豊かな広告文化が花開く。コピーライターが憧れの職業に。消費社会の極みで何が起こっていたのか?を紐解く。その頃、原宿には先鋭的なクリエイターが集い、一種のサロン文化が生まれていた。そして、渋谷では斬新なイベントが開催。若者の街へと変貌を遂げていく。(NHKサイトより引用)

80年代、新宿から逃れたサブカル人たちは、次の戦場を南に徐々に映し出す。これから80年代にかけて、原宿、渋谷へと盛り場は徐々に南下の様相を示す。78年の原宿通りのたけのこ族がそのメルクマールの先駆けだ。
この時代を一言で形容すれば、浅田彰の「構造と力」の中のこの言葉であらわせられる。
シラケつつノリ、ノリつつシラケる。

80年代を記号化という観点から眺める。丸金、丸ビ、なんちゃってクリスタル。また吉本と埴谷とのコムデギャルソン論争。自己の解放と資本主義からの搾取、どっち?といいう対決もまた資本主義に絡めとられる構造。大友のアキラやYMOに見られる都市のディストピア、廃墟感が常にあった。このまま成長できるわけないだろう、という不安、富沢さんは持っていたらしい。

おそらく、日本人全体の大木の部分で、浮かれながら、持っていたのかもしれない。90年代にかけて都市のディストピアから心の内面へのディストピアへと変わっていく。

 

糸井重里を中心にコピーを中心にこの時代を見ていく。思想しか、思想じゃなかった時代は終わった。コピーでも、灰皿ひとつでも思想は語れる。という糸井重里の言葉はしびれるw

言葉の脱構築が昭和軽薄体という文体を生み出したというのは、非常に面白いのでR。椎名誠、南伸坊などの言葉の使い方。
原宿には、そもそも占領米軍の宿舎であるワシントンハイツがあった。米軍向けの商店が集まる。米軍関係者のセントラルアパートに日本人が住むようになっていった。80年代に、カメラマン、コピーライター、イラストレーターという業界人が原宿界隈に住み着いていった。

面白かったのが、地政学的に文化の盛り場の推移を眺める富沢の視点だ。これには、本当に度肝を抜かれた。南新宿にある文化服装学園と、渋谷にある桑沢デザイン研究所、この二つの学び舎の卒業生はどこに行った?…となると、その中間地で、まだ家賃が安くて、それほど色のついていない土地となると、それが原宿だった。

また堤清二と増田通二の百貨店資本が前衛的劇場、現代美術紹介、ミニシアター、大型レコードショップなど、の文化事業を通じて街を作っていき、公園通りを整備していった。時代精神の拠点と破壊精神の拠点を目指した。渋谷の街はここが今までの街と違い、ここに作る!という意気込みのもとに作られた街。
ビックリハウスのヘンタイヨイコ新聞w
80年代とは、廃墟になった遊園地。記号化したジャンクの集積地である。

90年代、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件…時代の大きなうねりの中で、エポックメイキングとなる新たな表現が同時多発的に生まれていく。岡崎京子のマンガ「リバーズ・エッジ」は生きる実感が希薄化する時代の空気を描き、ゲームの世界では、バーチャルとリアルの境界を突き破るような作品が登場。そして95年、「新世紀エヴァンゲリオン」がアニメ界に革命を起こす。謎が謎を呼ぶ作品は私たちの何を変えたのか。(NHKサイトより引用)

今や世界に通用する言葉となった「OTAKU」。80年代、主にコミックマーケットに集まる人々を称していた「おたく」は、いかにして「OTAKU」となったのか?ニッポンのオタク文化は、フィギュア、マンガなどの作品をリミックスしたり、スピンオフを行う二次創作、コスプレファッションなど、新たな表現を生み出し、快進撃を続けている。その意味を考察する。電気街から趣味の都、「趣都」となった秋葉原の変遷も紹介。(NHKサイトより引用)

いよいよ、90年代、85年生まれの俺もこの時代にものごころがつく。いわゆる、自我に目覚めるという奴だ。
この世代をひとことで言えば「あぁ、そうですか世代」と例える風間さん。大人がバブルに絶望している中、え!?なんで絶望してるんですか?これがデフォルトになっている俺たち。勝手に絶望している大人たちを見て、え、うわ、こわ…と引いている感覚。もうダメだ、、、意味フ、という感覚。リバーズ・エッジに見られる死体、の実感のなさ。
サブカルチャーがサブカルに91年。サブカルチャー最終戦争(スパで特集)という記事で取り上げられた。
また、1995年は極めて特殊で阪神淡路大震災、オウム真理教、エヴァンゲリオン、ウィンドウズ95などものすごい密度の濃い年である。
この年代には、ポケモン、セカンドライフの先駆けであるタイガーマウンテンなどもある。

ちなみに、筆者は、ポケモンに超はまったわけであるが、ポケモンと聞くと思い出すのは、母が、自分には弟が一人いるのであるが、母が当時自分の回りの友人が全員持っていたポケモンを、ついに!ついに!買ってきてくれた時の話である。

母は、ポケモンを二つ買ってきてくれた。弟と俺に喧嘩しないで楽しめと言う。そう言うと、おもむろにポケモンを出したのであるが、ふたつとも同じレッドであった。これだと兄弟でポケモン150匹集められないじゃんwと心ながらに俺たちは思っていたが、母がキレるのが怖くてふたりで黙っていたのが懐かしい。俺たちがジャンプをコンビニで買って勇んで家に帰ってきてさぁ、読むぞ!っと意気込んでいると、母がお昼のカレーパンと肉まんを差し入れしてくれたのだが、それだけでなく、なにやらにんまりとしている。背中の方に手を回しているのを見ると、どうやら俺たちの喜ぶものを隠しているらしい、と思ったのも束の間、母は、今俺たちが買っていたばかりのジャンプを取り出して、のドヤ顔!、俺と弟は、今買ってきたばかりのジャンプをそっと、隠し、喜ぶふりをしたのも懐かしい。

 

また、さとし、というポケモンマスターとリアルに同じ名前の友人がいた。そのお兄ちゃんがめちゃゲーマーでさらには、ミュウを持っているという噂が校内をかけめぐった。さとしには連日連夜、友人、知人、お前誰?っていう奴からありとあらゆる奴がミューをコピーしてくれと、言いよられていた。俺も超、連日連夕方頼みまくって、拝み倒して、ついにミュウをコピーしてくれることが決まった。おれはもうめちゃくちゃうれしくて、天にも登る気持ちだった!当時、大技林という裏技全集に、ポケモンのコピーの裏技が載っていたから、それをやる算段になっていたのだ。当然、家で、弟と何度もコピーの練習をして翌日に備えた。

俺は翌日の放課後、さっそく公園でミューをもらおうと通信ケーブルを握ってさとしを待っていた。さとしは、めっちゃダッシュで俺に駆け寄ってきた。俺が「お前は、ダッシュ四駆郎か!」と突っ込む間もなく俺に急ぐように告げた。

「はやく!はやく!にいちゃんが帰ってくる!!!!バレたら殺されるからはやくはやく!!!!」

「おう!まかしておけ!」

俺はさとしのゲームボーイに通信ケーブルを差し込み、互いに爆速でポケモンを交換する手順を踏み合った。通信を司るポケモンセンターのお姉さんがいつもより遅く感じられる。相手との通信確認待機時間が永遠に感じられる。

♪テレレってんてんててんってんってんってんててん…♪

よっし!通信が開始した。

ぽんぽん!モンスターボールがこちらにきた!俺はきのう弟と練習したように、モンスターボールが行き来した一定のタイミングを見極めて、こっちの電源を切り、サトシの電源も切るように指示した。よっしゃーーーー!!!っと心の中でガッツポーズをしながら通信ケーブルを抜いた。

「これで!念願のミューが!!!しかもさとしのゲーマーのお兄ちゃんのおかげで、既にレベル100で、技マシン使いまくられて、技使える回数もマックスで、ドーピングもされまくっている、最強のミュー、ゲットだぜ!!!!」(心の中の声)

電源を入れて、画面を復活させる。さとしは急いでいる。「ねぇ、もういっていい?いいでしょ?兄ちゃん帰ってくる!!!やばい、やばい。バレたら殺されちゃうよ。あわあわ。汗」

「まて、まって。今確認するから。」

♪…てててーっててててーっててーててててーん!…♪(オープニングBGM)

スタート!スタート!とはやく、ボタンを連打するが、まだコマンドを認識する段階に来ていないので、どんなに押しても意味はないのだが、ミューが見たい!ミューが見たい!一心で、連打してしまう。さとしが焦らせるから、さとしに急いでるアピールもあって連打する。図鑑が151匹になっている、おぉ、自分のコンプリート図鑑!はやく見たい!

きた!っと早速スタートボタンを押し、メニューを開く。

「ウェルカム!マイ・ミュー!」

だが、ポケモンのパーティーリストを見てみると、ミューが見当たらない。あれ、、、、通信失敗しちゃったかな…俺はさとしに、

「やべ、まだミュー来てないわ。急いでるとこ悪いけど、もう一回通信して。」と再度頼み込んだ。
「いや、もう、無理、無理、またこんど、帰る。帰る!」と、帰ろうとするので、
「いや、まて、通信するまで返さない。」と帰りたがるさとしの服がきれんばかりに俺は掴んで離さなかった。

「わかった!わかったよ、わったよ。わかったから離して!だったら、はやく通信してよ。」
「そうこなくっちゃ!」
と俺は、またさとしのゲームボーイに通信ケーブルを繋ぐ。さとしは電源を入れた。
「急いでよ、まじで殺されるから。」
「よし、こっちは準備OK。」

 

あとはさとし待ちだ。

「………」

あれ、さとしの様子が…おかしい…進化するのか?と思った。そんならもちろん、Bキャンセルだ!

「…おい、さとし、準備できた?まだ?」

「………」

さとしの顔が青白くなってくる。まさに顔面蒼白。これ以上蒼くなった顔は体育の時間に貧血になって倒れた友人以外、一度も見たことがない。

「お、おい、さとし…ま(だ)…」

「いない…」






「なにが?」


「ミューがいない!」

「え!!!マジで!?」

俺はとっさに、さとしの画面を覗き込んだ。だが、覗き込んだパーティーリストには、ミューの名前がある。
「な、なんだ、…あるじゃん」

…と思ったのも束の間、そのポケモンのアイコンが…

違っていた。

エスパーポケモンのアイコンではなく、そのアイコンは水生ポケモンアイコン、しかもカニ。。。。。

 

「あ……」

 

そう、サトシのミューは、俺がミューと名付けたクラブLV15にコピーされていたのだ。

「あ、…あ、…ごめ。。。。」

顔面蒼白のままたたずむさとしを前に、俺はかける言葉もなく、少しづつ後ずさりし、チャリにのって家に帰った。

翌日さとしは学校を休んだ、今となってはわかかりし懐かしい思い出だ。思い出はみな過ぎ去れば美しい。

 

閑話休題

秋葉原は、本当にすごい街だ。三年前に3週間ほどヨーロッパを旅行したが、あきらかにヨーロッパと町並みが違うのだった。やっぱり街っていうのは、その場にいって、360度パノラマで体験しないと見えないものがある。眼の後ろにこそ街の真実が宿るからだ。現場至上主義者はそのことを知ってるのだろう。とはいえ、オキュラスリフトがどこまで迫れるか見物ではある。それと、コミケ爆発。このあたりは、こんどの「ロリコンを正当化してみた」で紹介する。

21世紀のニッポンは、構造改革、規制緩和、グローバリゼーションを掲げて出発するが、やがて不況が訪れる。そんな時代を牽引したのは、ニコニコ動画、初音ミクなどIT系のカルチャーだった。一方で、漫画、演劇、映画などで、時代の絶望感、閉塞感を描く作品が共時的に登場した。そして今、日本語ラップやネット上の新メディアでは、新しい動きが続々と起こっている。世界が注目、日本のサブカルチャーのこれまでを振り返り、行方を探る。(NHKサイトより引用)

以降、2000年代には、初音ミクや課金ゲームを通じて、実体のないものに価値を見いだす時代という風間さんの指摘は巧いと思った。
まとめとしては、第10回講義の42分45秒から見れば一目でこの講義全体とまとめと結論を概観できる。
また最後に紹介される都築響一の「ヒップホップの詩人たち」にサブカルチャーの神髄があるように感じられた。今現在の熱いラッパーたちはみな、東京でなく、地方にいる。地方にいる最高に熱い、地下に潜むラッパーたちこそが現在のサブカルチャーの中心である。

中心から逸脱した、熱い盛り上がり精神こそがサブカルチャーである、と番組は一応結論づける。そして、次のサブカルチャーはどこで生まれるか?


グーグルに出てくる最後の検索結果も見ろ、またそこにでてこないものに目を向けろ。←これは金言。古本屋で見る雑誌の情報量なんてグーグルの検索に出てくる情報に比べたら屁みたいなもんだwまだまだ、情報の含有量、読解の読み解くやりやすさは紙媒体が上なのかもしれない。もっとも、今のネットネイティブはどうかは定かではないがw
また、YMOはどこからきたか?インターネットってどこからきたか?ビートルズってどこからきたか?そういった根源に戻る視点が大事。独断でモノを言っていこう!間違いを厭わず。間違ったら直せばいい。じゃんじゃん、自信をもって独断でもの申していこう!A列車で行こう!

サブカルチャー(=下位文化)、とは、(逸脱する)オタク文化である。しばしば混同して用いられる、ポップカルチャー(=大衆文化)、カウンターカルチャー(=対抗文化)ではない。

サブカルチャーとは、ジャンルではない。それは精神であり時代と向き合う咆哮である。
勝手に超まとめ
①戦後史=サブカルチャー史
②グーグル検索の再末尾、及びそこに、ないもの

③サブカルチャーとは、周縁にある、“今”とても“ホットでクール”なもの



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