Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

芸大音環の卒展にきちゃいましたw

 

やってきました!北千住!

やってきました!北千住!

音楽環境創造科の卒展にいってきましたw!

ツウィッチートーーークで有名なつっしーの卒業演奏があるので、その生演奏を見にはるばる常磐線以北のスラム街まで足を運びました。今日も無事、帰還できてよかったですw

感想。ツイッターにもあげたことですが、再掲。

音の芸術の制約の大前提として、そこに行くだけでは出会えない“展示”が極めて多い。整理券、上演時間等々、“生”と“質”を届けたいあまり、突発的な来訪者(まれびと)への閉鎖性がやっぱ高くなって、外部からは身内感がパねぇ、って思って家路に着いてしまうんだよなぁ。みつをw #音環卒展メモ

論文もたくさんいいコンテンツがあるんだから、そのままwebに公開してしまえばいい。(うれない)若手アーティストの生活実態とか、着眼点面白いのたくさんある。まぁ、Webで公開しちゃったら論文本売れないんだけど、ここらへんクリスのフリーミアムモデルでなんとかならんかね。♯音環卒展メモ

また、それと現代音楽に客が入らないのは、その”凄さ”が実感できないからだ人間の美的感動は進化心理学的にいうところの”スーパーサイン”という難しすぎもせず、簡単すぎもせず、という”いい感じに伝わる凄さ”がないと人は感動しない、生得を持っている。そのため、現代音楽はこのスーパーサインを無視して、作曲家の哲学に走ってしまうきらいがある。それゆえに、離れてしまうのだ。ともすれば、こんなの俺にも作れると、思わせてしまうから厄介だ。美術と同じで、自分でも作られると思われてしまったらアウトだw存在意義がなくなるからw。ま、そんな鑑賞者も鑑賞者で想像力がたりないのではあるけれども、それが一般の意見であるならば甘んじてその言葉を引き受けるのが表現者なのだろう。鑑賞者に届ける。いうなれば、Avandtcore(新しくてもしっかり届く)というアヴァンコアナ感動を届けることにこそ芸術家の生きがいがあるのだと日々感じている。

今日描いた絵www 音環は音環で頑張って活動している。ポスト近代的な考えで、もはや少し遅れているが、社会を変えるための芸術として何ができるのかを考えて実行している奴らがいるのは確かだ。俺もその仲間として応援というか、実地に活動している。社会の中の芸術はくだらない日常生活の清涼剤としてあるべきか、音環の諸君は日々自問自答している。少なくとも先生方は自問している。 音環は左寄りで体制批判方だから、日夜、体制に組み込まれないように頑張っている感がいいねx100!   んじゃね〜!   越後スター、いっちー

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