Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

三十路の永訣の朝の序

母子健康手帳

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 昨日誕生日を迎えました。三十路というものになりました。子供の頃に、おかんが親父のことを、30にもなって親元から離れて自立できない、とディスっていたのを感慨深く思い出しております。

 

 30年を振り返り、思ったこと。それは自分は30にもなって、何一つ成し遂げていない、という厳然たる事実でありました。ただ一切は過ぎて行って、これからも過ぎていくのです。

 

 最近大学の測定器を用いて肉体年齢を測りましたら19歳でした。その反面、きかんぼうの法則は最近たしかに30代の角度です笑。また顔はもともと老け顔だったこともあり、周りからはそんな老けた、老けたと言われません。暗黒の10代〜20代前半にかけて、男の顔は履歴書である。活字が男の顔を作る、という高倉健さんのことばを噛み締め、世界文学、日本文学もろもろ、岩波文庫を網羅したため老け顔になってしまったのかもしれません。高倉健さんも、菅原文太さんも、志村喬さんも、笠智衆さんももういません。原節子さんはまだかろうじていらっしゃいますが、はかない、はかない、はかないもんですわぁ、と語った東野栄治郎さんももうおらなんでだいぶ年月が経ちました。それも今となってはいい思い出であり、いい肥やしです。そのため6浪してしまいましたが、昭和の文化が私の熱き血潮に堂々たる風格をもって流れているのはおおいなる財産でもあります。そのためか、マジョリティーな人生設計をおおいに逸脱してしまいましたが、これもまた我が人生、と小林秀雄が愛したおちょこ(にそっくりなおちょこ)で新潟の地酒(鶴亀)に人生のすぎ去りしかりそめを思い儚んでばかりいる毎日です。

 

 さて、10代から20代前半にかけて、自分は特別だという、ナルトやサスケの感覚を中学高校、浪人時代と抱いておりましたが、結果、やはり自分はロック・リーにすらなれない、大蛇丸とかのメインキャラに瞬殺される咬ませ犬、もしくはバガボンドで群れと腕っ節の強さを勘違いして、不用意にメインキャラの間合いに入ってしまうモブキャラなのかとここ2〜3年くらい思い至ってばかりです。周りにすごいやつらが良すぎて、オラワクワクしてきただ(悟空風)!の状態にすらなれない状態なのです。第一線で走り続ける超人たちに囲まれていっそう自らが井の中の蛙どころか、井の中の蛙の、さらにその中のDNAのメチル基に過ぎないと自覚させられてばかりです。三人行けば必ず我が師ありと孔子先生はおっしゃられましたが、三人行けば必ず我が師が10人くらいいることにあっと驚くためごろうなのです。

 

 彼らと比較した時、結局、自分は30になるまで何一つ成し遂げることはできませんでした。小さな小さな塾を石神井の地に開いただけであります。漫画家にもなれず、小説家にもなれず、映画監督にもなれず、宇宙飛行士にもなれず、プログラマーにもなれず、AV女優が年下になり、周りの友人たちは老け、じいさま、ばあさまは車椅子になり、介護を必要とし、母の顔にはシワが増え、白髪が増え…、ザッカーバーグや白鵬にコンプレックスを抱く毎日です。年金も払っておりませんので、このままいくと年額8万円の老後の生活がまっていますが、ま、なんとかなるだろうという、(ベーシックインカムになって、労働は全部ロボットがやるから、古代ギリシアの生活2.0になるだろうという)危険な楽観思想が私を蝕む毎日です。

 

 自分には才能もお金も時間もない、という考えは微塵もないのですが、のらりくらりと生きていくこともまた楽しみなるかな、という気持ちで最近はぬけぬけと牧歌的な塾を開き、そこで浪人時代に貯めた昭和の膨大な文化と教養を教えて生計を微力に立てて生きております。将来独立してから、実直に潤沢な資金を用意してから、有名になってから、と考えていたやりたいことに走りながらそのままたどり着いて、そのまま走っているのが不思議な感じではありますが、まぁ、いつかやる!は永遠にやらないことなので、オシムの言葉通りに走りながら人生の目的をこの調子で紡いでいこうと思います。

 30にもなってなにも成し遂げていない。これは誰しもが考えることなのかもしれません。むしろ、こうしたことを考えられることは贅沢なハムレット病なのかもしれません。仕事で忙しかったり、途上国の劣悪な環境でこのような疑問を考えることがあるのか、私は知りませんが、日本に生まれた感謝とともに、それでもやはり、人は環境で他者と比較してしまう生き物なのだと思います。ハムレットの苦しみはハムレットにしかわからず、リア王の苦しみもリア王にしかわからないのかもしれません。インドのコルカタの四肢切断された児童とオセロの喜びと苦しみのクオリアは等価なような気がします。

 

喰らえ!個人情報の爆弾投下!Good bye privacy!

喰らえ!個人情報の爆弾投下!Good bye privacy!

 

 ゲーテがエッカーマンとの対話で、まずは自らがうすっぺらい人間であることを自覚することから教養ははじまる、的なことを主張しておりますが、まさに、最近、痛切にひしひしと自分がぜんぜん特別じゃない説を信奉するようになりました。二度寝の才能は世界ランクで錦織圭にも負けないのですが、努力の才能はまったくなく、物語りの主人公キャラに憧れる自分にとって、そんなモブキャラの人生を目の当たりにし、絶望の淵に落ち込みかけることもちらほらありましたが、また最近になって、モブキャラにもモブキャラなりに人生があるのだ、という確信もあわせ持つようになってきました。RPGの主人公視点で物語は進みますが、モブキャラの視点からの物語も数多く作られている。信長や秀吉は司馬遼太郎や吉川英治といったレジェンドたちにやり尽くされ、市場は前田利家や真田幸村に焦点を合わせています。これが飽和した暁には、今度は名もなきモブキャラの常民が大河ドラマの主役を張る時が来るでしょう。来年の大河は、小市民・山田太郎。ババーン!山本太郎じゃなくてよかったです。

 

 たいていの人間が柳田國男が形容した常民としてその生涯を終えていくことに虚無を感じました。世のたいていの人間はマイルドヤンキー的に生物学的ミームを残し、この素晴らしく、美しい世界を湘南の風の純恋歌を歌って去っていくのだなぁ、と考えると、人生の儚さを詩に残したくなってきます。こうした時に人は詩を読み、歌を歌い、絵を描くのだろうと、漱石の草枕に想いを馳せました。最近では、自由意志も存在しないという科学的事実に気づくことができ、人生のおおいなる虚無を痛感する毎日を送っております。人間も虫と同じく反射で生きているということ、この苦しみも進化でもたらされた脳内システムの残滓に過ぎないと考えると、辛くなる反面、楽になる自分もいます。一切万物悉有仏性。人間もまた自然の一部なり。死もまた我らなり。身土不二。

 

 

 三十路を迎えた昨日、何も成し遂げていない、そうぼんやり考えておりましたおり、フェースブックを開きましたらその考えは、一挙にパラダイム・シフトを起こし、脱構築してどこぞの風の又三郎のように、どーどっどどどどどっどっどー!っと吹っ飛んでいきました。フェースブックにはとても”ウザい”機能があり、友だちとはうわべばかりの誰かの誕生日が右上の欄に表示されるのです。自分は今まで、人の欲せざること人に施すことなかれ、という思想を安直にこねくり回して生きてきたので、自分が誕生日のタイムラインに書き込むと、その人が律儀な方だった場合返信に困るのでは、貴重な時間を奪ってしまうのでは、という忖度感情から今まで誕生日にタイムラインへコメントを書き込むことを憚っておりました、が、知り合いで知り合いのめちゃくちゃ多い方のタイムラインにめちゃめちゃコメントが出てる方がいらっしゃり、その方が全員各自に返信せず、一括まとめてその想いを述べられているのを見つけてからは、自分もそうやってみようと考えておりました。そして、なんと、意外に、自分のタイムラインが誕生日コメントで埋められるのをみると、意外に”うれしい”ということにも気づかされました

 

 本当に、周りは師ばかりです。虚無感から藤村操の巌頭之感を読み上げて華厳の滝から身を投げようかとそんなことばかり考え…、痛かったり苦しかったりするのは嫌なので、そういうことは微塵も考えておりませんでしたが、わたしの何も成し遂げていないように見えた人生ではありましたが、わたしには、おおいなる財産があることに改めて気付かされました。モブキャラとしての人生ではありますが、そのモブキャラにも必要としてくれている人がいる。”濃い”、”薄い”といった程度の差はあれ、コメントをくださったみなさん、コメントをくださらなかったみなさん、過去コメントをくだすったみなさん、そして、これからコメントをくださるみなさんの、そうした縁のつながりが可視化されて、わたしが30までに築き上げたモブキャラとしての財産を如実に知ることができました。ハチミツとクローバーのラストシーンの竹本くんではありませんが、叶わなかった恋に意味はあるのか、というセリフを「叶わなかった夢に意味はあるのか」というセリフに置き換えてみてもいいでしょう。そして、わたしはタイムラインをみて気付きました。今ならわかる。ここに意味はあったんだ!って、とそう悟りにも近い感情に襲われました。なるほど!だからわたしはよく聖⭐︎お兄さんに間違えられるのかと、ここに長年抱いていた一番の謎が氷解いたしました。

 

 これからは、実写版聖⭐︎お兄さんに出られるよう精進してまいります。目指すは、ポスト植木等でございます。

 わたしの財産は彼らです。縁です。そう気付かされた三十路の夜でございました。

 

 夢のこれからは、夢でなく、松永大輔のように目標と定めて、自身から確信にかわるよう益々道を歩んでいく所存です。まだまだ先はわかりませんが、まぁ、おそらくスペックはタモリさんと同等だと思うので、一度チャンスを与えられれば、龍のように天に駆け上がることでしょう。伏流鳳雛とはまさにわたしのためのことばのような気がびんびんしています。最後に天上天下唯我独尊、それがわたしなのです。最悪、塾がダメだった場合、新興宗教を開く予定です。肉食幼女妻帯の煩悩のままに欲にまみれてまみれて、時に業を見据える、一休宗純像に本堂に据えた、そんな新興宗教を起こそうと思います。今のところ、塾で精進していきます。最近は吉田松陰の気持ちが切々と察せられます。

 

生まれる前からあったおかんとの絆の証!

生まれる前からあったおかんとの絆の証!

 

 最後に、母から送られてまいりました写真を添付いたします。はじめは帝王切開というジュリアス・シーザーと同様の誕生形式だったためにモブキャラとしての人生を生まれながらに勘違いしてしまったわたしのその始まりの記録です。誕生の記録です。いきものの記録です。脳の病気を抱えながら、頭がよくなるようにとパセリばっかり食べて栄養をわたしに送り、結果、頭が良くならず、おかしいほうにシフトしてしまったわけですが、まぁ、いろいろ大変なハンデを抱え産んでくれた母に、ここまで育ててくれた母に、この場をお借りするのも甚だ醜くはございますが、やはり、なんといっても今わたしがあるのは、母のおかげでございますので、おかんに感謝を述べて三十路の永訣の朝の序を締めくくりたいと思います。

 

存在するということ。生命への畏敬と尊厳をひしひしと感じて。

存在するということ。生命への畏敬と尊厳をひしひしと感じて。

 おい、おっかぁ、また来世でもうんでくれろ!な!

 

 みなさま、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

 

 

三十路の越後の星、一ノ瀬健太




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コメント

  • お誕生日おめでとうございます。

    いつも楽しく読んでいます。

    不安や虚栄心にもがき苦しむ人生も、
    それはそれでいい気がしてきた今日この頃です。

  • 一ファン様、ありがとうございます。

    拙文、いつもお読みくださりうれし恥ずかし朝帰り、というドリカムの曲を思い出しました笑(^-^)

    わたしも不安や虚栄心にもがき苦しむ毎日ですが、こうした不安と戦っているのは、自分だけではない、と気づけたのは最近の収穫でもありました。

    走ることをやめられない人生ですが、まぁ、野生のウサギがライオンに追われたら止まれないですが、そこは、まぁ、人間ですから、たまには、ゆっくり休んでのんびりするのも素敵ですよねぇ。わたしは、そうした忙しい毎日の中で、かろうじて、道路の脇に咲く一輪の花をのんびり眺め一息つけるような、人間になりたいですねぇ。といいつつ、今日も駆け込み乗車をする毎日でありますがw少しづつ、一歩づつ、花を眺めていきたいです。(^-^)

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