一身独立して、一藝大独立す。
学長と語ってきました!
6月8日(月)17:00~19:00にかけて藝大にて学長や学部長、大学美術館長と学生との三者の語らいの場が設けられた。
今年で卒業して、藝大を去るものとして学部から大学院まで過ごした6年間の思ったことなどを学長や学部長にぶつけてみようとおもって行ってきました。
一人鼻息を荒げ意気込んできたわりに肩透かしを食らってしまいました。とはいえ、宮本武蔵ではないですが、早めにきて戦いの場を下見しておくのも悪くないと思い、早速、いい席をゲットしようと前にの方に席を取った。
それから、ぼちぼちと人が入り始めたが、、まだすかすかで人が入らないため、開始時間は10分遅れのスタートとなったわけだが、振り返れば、奴がいるではないが、8割くらいの人が入っていて大いに驚いた。
学長のプレゼンからはじまり、藝大の正門の復活、IRCAプロジェクト、夜の上野の杜構想などが説明された。その中でも不忍池に蛍を一万匹放つお話には感銘を大変受けた。心がときめいたといってもいい。常日頃から蛍にこそ日本の美が宿ると考えている俺だから、これはもう無批判で大賛成してしまった。(いうなれば、骨身をほだされてしまった。もし不忍池で育成可能ならその蛍はきっと遺伝子を改良された蛍に違いないかもなぁ、というのが一瞬脳裏をよぎったが、そういった蛍ありきの環境で飲むビールは格別であろう。不忍池には昔から面白エピソードがたくさんある。日本で初めて、飛行機が飛んだのは不忍池だし、日清戦争記念の戦勝記念劇で日本と中国の戦艦を作り、中国の軍艦模型を炎上させて撃沈させたり、藝祭で学生が飛び込んだりと枚挙にいとまがない。)
プレゼンの中、藝大の社会的役割を4つ説明された。
①地域貢献
②被災地復興支援
③グローバル展開
④イノベーション創出
保科学部長は、グローバルアートプラクティスのお話をされた。先日も潜入取材をしたがロンドン、パリ、シカゴと提携して人的物的交流を活発化させていく方向だという。現にすでにプロジェクトは動いていて、自分はそれほど関係ないかもしれないが、これも大いに楽しみなことである。
そして、新しく今年の4月からいらっしゃった秋元雄史大学美術館長、前回の関出先生に代わって本職のキュレーターがやってきたという感じだ。大学美術館展示は2〜3年先を見据えて動いているから、秋元先生の展示が見られるのは、1〜2年先なのかもしれないし、組織はそう簡単には変われないので、なにも変わらないといった見方もなされているようだが、秋元大学美術館長はきっと開かれた藝大に一役買ってくれるような感じがした。
ここまでは、ほぼ俺が知っている内容だった。新しいことといえば、学長のプレゼン資料が新しくなっていただけで、他は大体把握していた。というのも、藝大は上野の杜構想を学外に公開して進めているからだ。昨年から資料のアップが止まっているが、北郷先生の座長のもと水面下ではちゃくちゃく確実に動いているのにちがいない。そして、その動きは、上野だけでなく、湯島天神を中心とする半径2キロの東京文化資源構想の中にしっかりと括られているのだろう。いやぁ、オリンピック楽しみで、ワクワクしてきます。
ここからは対話が始まる。やっぱり、学問の真髄は対話にある。以下、箇条書きで勉強になったことを自分の考えも加味して記録にとどめるものとする。
筆者の提言。今年で卒業する自分からよりよい藝大のために主に2つ提言をした。
①序破急教育。世阿弥の芸術論の根幹概念でクリエイティブなことをするためには過去から学び尽くさなければならない。体育の高橋享先生の集中講義をぜひ初年度に初心忘るべからずも含めて講義を行うこと。結局最後は、人であり、自分で自分を助けることが一番であるため、その藝論の根幹を初年度に頭の隅に入れさせることが大事。藝の世界は厳しい。自分が天才の磨き石であることをしっかりと伝えること。受験で燃え尽き卒制まで怠けるナマケモノ燃え尽き症候群。
(学長は、すでに藝大に入る時点で序破急の序は終わっているという考えだった。とはいえ、それならば藝大生はみなクリエイティブだということになる。デジャブアート(何処かで見たことがある、似たような作品ばかりだという感覚にさせるアートのこと)もあるし、本当にクリエイティブな作品もある。学長は、わかっていい面を押し出しているのだろう。デジャブアートのほうは渇愛したに違いない。)
②オリンピックに向けて生まれる膨大な雇用の波に乗れるよう、藝大関係者が関われるような仕事が増えるよう運動していくこと。
(③新潟県佐渡島に宮田亮平王国を作る。今回は割愛した。)
(④単位をとりやすいように。街に出る藝大生。足を引っ張る出席カードと寝ているだけで取れる単位の矛盾解消)
筆者の前置き、長かったが必要なことと判断し、述べた次第だ。
・今、ものすごく明治維新のような湧き立った風を感じている。
・学生運動の時代から約半世紀が経ち、学生対教員の構図は最近まで残り、組織としての分厚い透明な壁が藝大の中にはっきりとあった。自覚するか否かは別にして、寮長を3年やれば、それなりに学内政治も幾分か見えてくるものであり、そして、それは学内において藝術表現を真摯に行おうとすれば必ずぶち当たる透明な沈黙の壁でもあった。教授のハンコ、管理者権限、教務課、学生支援課、庶務課のたらい回しなど懐かしくて美しい思い出だ笑
とはいえ、今回は学生側として完全敗北を認めなければならないと思う。6年間で常に自分は学生が学内で自由を勝ち取るには自分たちで組織を作り団体として自由を勝ち取る、たとえば、トイレで展示を行うとか、学内の壁に作品を飾る、とか藝祭で大石膏室を使用するとか、5-109でマイクを使うとか、前期中に後期の講義を履修システム上で取り忘れて、まだ後期の講義が始まっていないのに、履修できない非人間システムなど、そうした教務が嫌がるようなことを諸々行う権利と自由を勝ち取らねばならないことを常々思っていた。
学部一年生の頃は、某学生支援課の職員の方や教務の方々をこんこんちきのモモンガー野郎だと罵りまくっていたけれども、学部2年時に石神井寮の男子寮長になってからは、敵は窓口の職員でなく教授連中、もとい藝大というシステムにある、ということに思い至った。そして、そうしたシステムに対抗するには組織を講じなければならいということにも気づかされたわけだった。ツイッターもフェースブックもあるSNSの時代に組織を作ることは容易なことにも思えたが、実際組織しようとしても、出る杭は打たれるんじゃないか、課題、講義、集中講義などが重なり、ぼんやりしているうちに自治会を作ることはできず、寮を守ることだけで精一杯になってしまった。
今、各大学の学生寮が潰されていく流れがある。地元新潟大学の学生寮も取り壊され、昔のバンカラ気風はもはや廃れてしまって流行らないらしい。小さく残存するものではあれ、時代の風潮とは明らかに異なる。愚直よりもしなやかに洗練、そうしたものが求められる時代であり、俺自身がそうしたものを無自覚に求めているのだろう。
自治会も組織できず、石神井寮も守れず、結局は大学に潰され藝心寮が建設された。
藝心寮に関しては、今も失敗だったと思っている。完全なマンションで学生間の交流がほぼ皆無だからだ。あるのは、誤解に基づく憎しみの連鎖と藝辛寮生から聞いている。とはいえ、それをのぞけば住み心地はよく、なにより綺麗で、足立区は治安が悪くそれだけがネックらしいが、今も人気で入居は予約待ちだ。建築は最強の藝術で場を制することができるから、建築で交流が生まれるような場を初めから強制的に作っておけば、不幸な憎しみの連鎖は起きなかったように思う。デフォルトが石神井寮と藝辛寮では気風が水と油なのは自明のはずで、自分も石神井寮の頃全寮生にアンケートを行い、回収率83%まで頑張り、とにかく、寮費を安くしてくださいと、大学側に提出したわけだが、結局は、Aタイプ:44,900円/月、Bタイプ:83,200円/月円となってしまった。ちなみに石神井寮の家賃は43,00円/月であった。10倍!さすがネオリベの流れ!笑
そんなこんなで溜まったわだかまりがあり、時代の大きな流れの前では、海のもずくに過ぎなかった俺。まさに明治維新で滅びつく幕府側の人間の気持ちであった。新撰組の土方巽のように五稜郭で討ち死にするわけにもいかないから、もはや薩英戦争で負けて一気に立場を改めた薩摩・長州のように石神井寮の戦いで敗れたあとは、一気に鞍替えし、きれいさっぱり旧体制を脱し明治政府の中枢に入り込み活躍しようと心に決めた。藝心寮の前の藝大寮であった元石神井寮の寮長としては守れなかった自分がいて、それが前から良心の呵責めいたものを感じていたが、うじうじしていたって失ったものは戻らず、それよりかは、自分で金を稼いで自分で好きな場所に居場所を作った方がいいだろう。
自由は自分で勝ち取ること、最後に頼りになるのは金と自分、ということを学部の4年間で学んだ。
そして、ここに来て、ついに大学自らが学生と対話の場を設けるという。ここに、学生側の完全敗北が決まった。あちらからのお膳立て、本来ならばこちら側から設けるように運動しなければならない対談の場をあろうことか学長、美術学部長、美術館長の側から持ちかけてくる始末、もはや、学生対教員の時代は終わりを迎え、これからは本音としての”オール藝大”を象徴する出来事だと思った。藝大も組織として、学生のアイディア、学生自身が自分で勇気をだして売り込んでいくことを求め、取り込んで行こうとしているのだろう。はたまた、またまた勘ぐれば、隅田川の御輿やボート、越後妻有トリエンナーレ、などで学生を安価な労働力として使う算段ともとれないし、とはいえ、そのワークショップでの出会いは自分をアピールする格好の場ともなるわけで、いい意味でチャンスの場とも考えられなくもないから、どっちがいいのかは結局は人による、ということになる。
とはいえ、今日のテーマは開かれた大学、発信機能、というのがメインテーマ。
大学は昔に比べれば、卒展の賞も取手市長賞、台東区長賞、仏壇の長谷川賞など格段に増えたし、まずもって、今回のこのような場を設け始めたことからも一目瞭然だ。すでに大学の扉は開かれつつある。すでに開いている。あとは、そこに開かれた扉がありますよ、ということを発信していくことなのだろう。
アーカイブセンターに何ができるか。ここにきてどんなアーカイブを体験できるのか、どんなときめきを与えることができるのか、誰に、何のために、そうした感動を与えるのか、といったことを仮想ペルソナから一致団結して、当然、宗教のようには一致団結しないで、各自で発信していくのだろう。とりあえずは、その発信のプラットフォームは作っていくのだろう。
最後は自分、売り込むのは自分。アピールするのは自分!大学に期待するのでなく、甘えるのでなく、チャンスをより掴みやすい環境を大学が作ってくれるのならばそれに、そのビッグウェーブを利用するまでだ。そこまでサーフボードをもっていくのは結局自分なのだから。そこまでは自分で泳いでいく。自分でパディングしていく。時には大学がモータージェットで沖まで連れて行ってくれるかもしれないが、そんときにはそんときで儲けものと思うまでだ。とにかく、一身独立して一藝大独立す。この精神が大事なのだろう。自分で自分を助ける奴に藝のミューズは微笑むのだから。
飲み会の場を設ける。といってもお酒はあってもなくてもいい。とにかくパーティーを設ける。ミュンヘンではボイスがパーティーにいた。有名・著名なキュレーター、アーティスト、ディレクターを招いて、人的交流を行い、ポートフォリオを見せ合う場を設けていく。それが藝大が学生にできるパスでもある。
本日の学長の名(迷)言コーナー
・35を超えるまでみんな藝大生!
・うんこちびってもいい、ちびるくらいに勇気を持って発信しろ!
・三上(馬上、枕上、厠上)がインスピレーションの源!
・卒展では作品をすべてオークションにして、作家としての自覚を持たせて、名実ともにデビュー!売れなくても、それもまた勉強になる。
保科美術学部長の名言コーナー
・走り続ける。常に次の次の展覧会をしながら作品を作り続ける。一年で13回の展覧会。
秋元美術館長の名言コーナー
・世界では、一年で50の展覧会をして回った奴らがいる。それが蔡國強だったり、オラファーエリアソンだったりする、今の現代アートのレジェンドたちであり、公共の機関で個展がうてるようになる。
・海外帰りのアーティストはクソ生意気!見習おう!生意気はそれ自体で素晴らしい。
有名キュレーター、ディレクターには、媚びない!自分のありのままのことばで、ありのままプレゼンをする。それが一番心に届く。
学生からの意見・対話録(自分の意見を混ぜながら)
寺社建築の見直し。ブルーノ・タウトの呪縛が解けた。じゃんじゃんやっていきたい。
美術教育、藝術を意味のあるものに考えさせる一般の受容者の教育という問題が提言された。それは、そもそもで美術ということばと藝術ということばをしっかりと使い分けることから始まるだろう。デザインだって藝大にあるんだから、藝術なのだ。藝術は人間存在そのものだから、一番広義の意味を有する。藝術は、古代ギリシア・ローマではテクネーとして技や技術、能力を意味したし、ルネサンスの頃には占星術や戦争のやり方などアルスとして知的営みの生産物とみなされていたし、近大になって今大方使われている作品としてのアートとして用いられるようになった。最近では、ニコラ・ブリオーの「関係性の美学」という考えが90年代から言われているから、もはやデュシャンは加速し、ギャラリーで焼きそばを作ることも、町おこしをするのもすべてがアート、美術になったわけで、そもそもでこれは藝術だから、まったくもってアートなのである。詳しくは、拙論文「The Final Definiton of Art」をご覧いただければよりよくわかるだろう。
つまり、一般市民にどのようなアートの受容を藝大は求めるのか、また求めさせるようにするのか、そこから議論を始めなければすべてが不毛になる。まずは名を正せ、と孔子は語ったが、モノゴトはみな勝手にことばの意味を乱用するから話がこじれていくのだ。
村上隆と杉本博司のペルソナの使い分けについて、彼らの発信の違いについて。
まとめ
発信機能を高める、ことが藝大のためになるわけだが、藝大がなにを目指すのか、一応、もう一度確認したほうがいい。とりわけまずは、学長の4大原則は具体的なプランであり、それに基づいた形で発信機能を高めていく方向が妥当だろう。いうなれば、藝大の社会的意味を社会的に理解、共感されるように、また必ず藝大は社会に必要だ、という認識をあまねく社会に、国に共有されるような大元を確認することから始めたい。藝大はどこを目指すか。藝術はなにを希求するのか、そこからまとめたい。
まず隗より始めよ、ではないが、まずは藝術を定義せよ。これは拙論文「The Final Denifinition of Art」をご覧頂ければ一番であろう。結論から言って、人間に関するすべての現象は藝術である。巷の学者諸君が議論しているように、各人でも藝術の定義はまとまらないだろう。だが、すべての基盤、マルクスがいう下部構造のそのまた下の基盤構造に藝術はあるということには同意せざるを得ない。つまり、この世のすべての現象が藝術の産物、人為、認識を通じて藝術の副産物となる。何を言っているのかわからないという方は、上の論文を読んで下さい。楽してわかろうとしないこと。理解するとは苦労することです。各藝術の目指すところは真・善・美・壮のいずれかであるので、デフォルトで社会のためになる価値を有することだろう。それゆえに藝術の定義は不要とまではいかないにしろ、ある程度のコンセンサスはとれる。藝術の所与にしてイイモノということを疑うことはアートワールドの人間が飯の種にやっておけばイイのだ。一般市民にそんな時間はない。そんなのはベーシックインカムが導入されてから存分にやればいい。上野に蛍が飛んでから十分に考えればいい。一般市民に対してポジティブな価値を持つものであればそれは藝術であると定義したい。
それを踏まえた上で、発信する相手のペルソナも考慮に入れねばならないだろう。マーケティグを参考に仮想ペルソナを設けて戦略的に情報と魅力的なコンテンツを届けねばなるまい。藝術の社会的な位置づけと有用性としての価値をいったい誰に届けるのかという仮想ペルソナの想定、その2点を踏まえた上で進めていかねばならな。
上記3点、藝術の定義と藝大の社会的意義そして仮想ペルソナ、それを踏まえた上での提言。
結論から言って、藝大は社会の中にときめきを与えることこそがその存在意義だと考える。いうなれば感動。それに尽きる。ニコラ・ブリーとクレア・ビショップの論争もあるが、現状、美術としての藝術に求められるものは日常生活であるケの中のハレの世界である。下らない、とは言いすぎかもしれないが、疲れ切った静かなる絶望の毎日の日常に、美しい嘘を、心豊かなロマンを与える一服の清涼剤として藝術が機能すると言えるだろう。それはなにも展覧会に限った話ではなく、日用品のいたるところに、ポストカードに、詩に、彫刻に、プラモデルに、フィギュアに、箸に茶碗に、ゲームに、ツイッター、フェースブックにだって藝術はしっかりと根付いている。藝大は、そうしたもろもろのオールパッケージングとして、純粋美術、応用美術を問わず日本の各家庭に、各田舎のおじいちゃん、おばあちゃんに、お茶の間のこどもたちに、紛争に、貧困に、世界に感動を送り届けねばなるまい。そこにこそ藝大というか、藝術家、もとい自分の使命があるように感じる。
教員と学生で話し合いのばを持てることがこんなに素晴らしいことだとは思っていなかった。敬意を持って、”対等”に思ったこと感じたことを正直に議論していける場は継続して持っていけたら幸に思う。次は、俺もぜひパネリスト側に立ちたいと思うし、学生側が座らなければ意味がないだろう。そして、俺が座らなければ本当に意味がないだろう。勇気。これが一番藝大生に足りないものだと学長は語ったが、おっしゃる通りでぐうの根も出なかったわけだが、まぁ、一寸の虫にも五分の魂があるように、これからは、おれもうんこちびってでも発信していく勇気を発揮して行く。ゼーゼマンなどの話は聞いていてとても面白かった。学生の間では、藝大の教授はみんな馬鹿だ馬鹿だと言ってる奴を多数見かけるが、そう言っているお前も天下に己が無能を吹聴しているに過ぎないといえよう。かく言う俺も同じ馬鹿だが、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。少なくとも、あの場で発言された先生方はみな、ワンピースキャラでなく、ハンター・ハンターのキャラのように全員が”知恵”をも持ち、知性的に生存戦略をされている方ばかりであった。
藝大とは、ひとつの箱に過ぎない。人、人、人、最後は人、独立した個人。自分。自己なのである。とはいえ、独立し自律した人間同士が協力し合うと爆発的な活動ができたりもするから、そうした独立不覊の芸術家同士がタスクフォースを組んでやっていけたら素晴らしいし、自分もそうした独立した藝術家として協力をしていけたら幸いと考えている。群れることは初志を忘れるから、それだけはいつも口を酸っぱくして言っていきたいし、言われ続けたい。真剣に、真摯に、愉快に、楽しく人間が人間同士、自らの得意とすることで好意を尽くし、そしてそれを相手の喜びとすることほど素晴らしいことはほかにありはしない。藝大が、自分が、一般人市民から、田舎のおばあちゃんから、アートワールドから必要とされる、その目的のための藝大にできることに貢献していきたい。今年、卒業で大学を去るものとしてではあるが、”35歳まで藝大生”であるならば協力できることはこれからも協力していきたい。自分の居場所は自分で作る。藝大をよくしたいのなら、まずは自分が素晴らしい藝術家になること、まずはそこからはじめようと思う。まずは、今日あったできごとををめんどくさいけれども社会と共有しよう。そこから俺はしっかりと根を大地にはって愚直に愚直に歩きはじめることにする。
藝大スター、一ノ瀬健太
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