Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

キャッスルのトトロのおじさん


1976年パンフ(p.23)

1976年パンフ(p.23)若かりし頃の福本さん

キャッスルのマスター福本豊さんがご逝去されました。最近バイトを始めたため30歳にしてついにランチが食べられる生活を始めることができました。今までは夜だけでしたが、やっとお昼も食べられる幸せを日々噛みしめて生きております。最近はしばしばキャッスルでお昼を食べるようになりました。

「お兄ちゃん、贅沢だね!」、「展示は順調?」などのお言葉を福本さんからかけていただき、ついこの前まで現場の最前線に立っておられたのをありありと思い出します。現在は、主なき椅子の前の白い花々、無限にループされる写真のプレートが、そこにある不在に、在りし日の面影を投影します。

福本さんは、トトロと同じように穏やかな木漏れ日をもたらす藝大の霊樹になリ、これからも私たちを見守ってくださると思います。時折、また四次元ポケットからバウムクーヘンを出してくれるとありがたいです笑

 

私も関わっております藝祭をアーカイブする展示「藝祭100年の歴史展」が来週の3月23日から30日までの一週間の間開催されます。

その過程で、福本さんのインタビュー記事が藝祭パンフレットにあるのを発見しましたので、紹介いたします。

 

出典は「1989年藝祭パンフレット(pp.24~25.)」以下抜粋です。

 

キャッスルおじさんのお話

 昔、仮装パレードで安珍清姫をやっていて、すごい事故になったそうですね。

 そう、安珍清姫をな、ちょうど二本杉原でやったんだよ。何かお城みたいの作ってさ、上から清姫がおりてきて、出てくるところでバーッと火がついちゃったんだよな。もだえ苦しんでるのが1つのイベントだと思ったんだよ、消そうっていうより。バナナかご背負ったルンペンがいたり。これは要するに企画委員がボロ着て、ごみが落ちたのを拾って歩いてたんだけど。そんなのがいたもんだから、火がついたのも1つのイベントだと思っちゃったんだな。火がついてさ、消す時には大分火傷なさっちゃってたみたい。大変だった。みんな、見てる人はそれがイベントだと思ってるからね、大事だと思ったのは1人もいなかったんじゃない。みんなが、すごい迫力あるって言って。火がついても走りまわられたでしょ。彼は速力あげれば消えると思ったんじゃない?ところが、あげればあげるほど、風がおこって火が燃え上がるのね、だからみんな拍手してさ。まさか消すためにやってるとは思わないもんね。あれで仮装はちょっと中止になっちゃったんじゃないかな。その安珍清姫のあとから、お神輿になったんだな。

 戦後すぐのパレードはどんな感じだったんでしょう。

 僕は19年から22年までは疎開してましたから、よく分かりません。だけど、その頃は上野公園は使えなかったでしょ。18年から20年までは高射砲の大隊がいたんですよ。陸軍が支配してて、中に入れさせない。軍事機密だったんですよ。そのころは、パレードは銀座の方面に行った方が楽だったんじゃないかな。そのころは憲兵隊の本部が、すぐ池之端にあったし、郡司規制があるんで以外(*意外)にうるさかったから。終戦後は、それならばって言って銀座へね。車はあんまり撮ってないし、道路通ろうが何しようが楽だったろうけど。今は1分間止めると、2万台止めるそうですから。

 ”喧嘩みこし”というのは昔からだということですが。

 昔から面白いね、彫刻と油画はなかなか。たいがい一番前か、一番前か後ろなのに、最後になってビャーッと来てね。その乱闘さわぎを見る人が多かったんだよ。楽しみでねえ。神輿が絶対に壊れない頑固な時代もあってさ。そこへ行くと、楽理科はすぐ噴水に逃げこんじゃったりしてね。昔から、ぶつかるのが嬉しいんじゃないかな。今は日本画の方が一番元気がよろしいけれども。

 必らず噴水前の戦いがあるわけですよ。そこへ行くまでは絶対ぶつかり合いはないわけなんだけど。要はバラバラに壊しちゃって、それを楽しみでやるわけなんだよ。でも怪我人が出たってのは、あんまり聞いたことがなかったね。最近はなぐり合いやっちゃうでしょ。それで、こわいからどいちゃって、手をつぶしちゃうんでしょ。逆に。

 なぜ昔は怪我人が出なかったんでしょう?

 昔は喧嘩って節度があったじゃん?どこまではたたいちゃけねえってのを、今の子たち、わからないんだよね。ボクシング部とか空手部の人たちって絶対手を出さないもんね。分かってらっしゃるから。ぶつかっても、なるべく怪我のないようにって見ながらおやりになってたように記憶するのね。けど、今の子ってマジにやっちゃうの。それに神輿って初めてかつぐ子が多いじゃない、今の子たちは。前は神輿かつぐ子ってのは、どこでもかつぐような子が多かったから、どこまでやっていいかってルールを知ってるわけよ。今の子たちはルールを知らない。だからぶつけて壊してみたり、蹴っていけないところを蹴ってみたりね。そういうことをしちゃうから、事故につながるんじゃないかな。昔は節度があったもん。

 お酒に関してはどうですか?

 酒のんで神輿かつぐ人なんか、1人もいなかったねえ。べろんべろんになってんのは、神輿に引っぱり出さないで、ほっぽっとくもん。面倒見てあげないもん。今の子たちは、すぐ救急車呼んじゃうじゃん。昔は救急車なんか出たことねえな。やっぱり、どこまでいったらこうなるかってことを、みんなが知っていたんだよ。今の子たちって、それがないんじゃん?一気、一気なんて言って、自分は2合しか飲めないのに3合まで飲んじゃって。もう1回!なんて言ってキュッキュッとやったら6合でしょ。一気に6合も飲んだら、たいがいダメだよね。もとなんか、ラッパ飲みでやってたけど、神輿は壊しても、怪我人出すなんてこと、なかったからね。今の子はマジにやっちゃうから危なくてしょうがないやね。みんなの力を合わせたら相当なものになるから、それをぶつけたら手でもなんでもやられちゃうよねえ。だから、そこまでは困るってことを警察は言うんじゃないの?こんな風になったのは、この12-3年じゃないかな。みなさん勉強ばっかりしてるから、社会の制度がひよわに育てちゃうんだな。そう思うね。結局、そこへ行きつくね。

 ところで、この辺りにお住いの方々は藝祭をどのように受け止められているのでしょうか。

 昔からいる人はみんな楽しみにしてる。例えば、今年はみんな行儀がいいんだねって言うから、何でって聞いたら、ちゃんと挨拶状が全部の家に回ったっていうじゃない?今年の企画委員はいい、だとかね、企画委員まで採点してるみたいよ。直接、僕に言われるわけね。今年はどうなの、どんなのが出るのって、いつも聞かれるのよ。そんなのわかるかって言うんだけど、先に先に聞こうとするんだよ。今年は海部さんが首相になったから、海部さんを神輿にするのかなって言ったりするから、そんなの出すまいって言ったの。そんなら、まだ社会党の土井さんの方がいいんじゃないか、とかね。みんなそんな話題よ。いろんな期待してんじゃないかな。というのは、元々ご近所に絵かきさんだとか、彫刻家の方とかが住まわれておりますんでね、その方から券を頂いたから、美術展に行くんだとか言って、目が肥えてる方が多いからね。そういう方が採点なさって、今回は何が良かった、だとかね、かなりみんな言うよ。だからほんとに、みんなが期待してる1つの秋のイベントなんだろうな。

 否定的な意見もあるようですが。

 文句言う人もいるけど、10時、11時まで鳴らしているわけじゃないし、いいだろって言ってやってるんだ。だって昔は11時までやってたんだよ。まぁ、動物園の動物がダメだそうだな。3日間うるさいと4日目から体内時計が狂っちゃうそうだよ。それはあるみたい。まあ警察関係も傷害ということを重点においてるから、お神輿の方も気を付けて頂いてね、道路で接触があったら困ることだし。わざと車で突っ込んでくる奴もいるんだ。神輿やってるとわざと寄ってくるのと書いてね。僕、交通関係やってるんですけど、こっちは安全を期してやってるのに、うるせえ邪魔なんていう車もいるしね。

 最近は藝大と地元のつながりが薄れてきているということを聞きますが、いかがですか?

 今は藝大の先生がたがね、この近所にいなくなっちゃったことが言えるね。昔は先生がたが助手時代に、この辺りに下宿なさってたんだよ。今、マンションになったんで、下宿ってなくなったのね。その点があるんじゃないかな。美術の先生がたも、みんなこの辺に下宿なさってた。大家さんがいて一間に2人いたりしてさ。小磯良平先生のお宅にいる、朝倉文夫先生のお宅に下宿してるって、そういう方が多かったじゃない。その先生がたがみんなね、鎌倉に住まれるようになっちゃったでしょ。先生がたが全然いなくなっちゃったんだよ。それはあるね。

 一番困るのはお彼岸の時やるだろ、藝祭。お経をあげてると、ジャンジャンやってるから、リズムが狂ってくるんだ、木魚の。あれはもろに狂っちゃうそうだよ。苦情がくるってのはそれがあるんだよ。仏様も踊り出すんじゃないかなとかね。それから丁度お彼岸にぶつけてやるでしょ。がゆえに、交通安全週間の始まりにお神輿があるわけだよ、安全運動のスローガンかけて出発しようとすると、藝祭の神輿が最初なんだよな。その点もあるかもよ。

 最後に何か一言お願いします。

 まあ1年に一回のことだし、古くから住んでおられる方は楽しみにしてるんだから、がんばってやんなさい。

 福本 豊 氏

昭和11年キャッスル開業の年に誕生。上野高校、日大商学部を経て現在キャッスルのマスター。桜木町会副会長、町会連合会の青少年副部長、文京・台東企画委員など様々な役員を兼任、精力的に活動している。「キャッスルは楽しいキャンパスの憩いの場、オアシスであるといいと思っております。営利的ではなく、和を大切にしたい。」

1989藝祭パンフ(p.25)

1989藝祭パンフ(p.25)

1989藝祭パンフ(p.26)

1989藝祭パンフ(p.26)

 

福本豊さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。これからもまた藝大生たちを見守っていてくださいね。

 

一ノ瀬健太

 

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