ぼくのしろ
何人たりとも介入することのできない僕の表現空間です。
基本的に人間は社会的動物である。それゆえに、毎日、少なからず気を使って生きている。思ったことを肚に貯めることもあるだろう。口にすることもあるだろう。しかし、それは相手ありきだ。それゆえにいかなる場合においても人は人を気遣う。気遣っていなくても無意識に気遣っているはずだ。
普段の生活、こと職場、仕事場などにおいては、抑圧的傾向の強い日本社会においては思ったことも言えず、ただただ忍ぶまでだ。しかし、自らの表現行為のみが上司に逆らえる。同僚も何ら干渉できないのだ。思ったことが言え、ありのまま、感じたままに一つの世界の創造主となる。これほど苦しく楽しいことがあるだろうか。
小説、論文、ゲーム、デザイン、世界の創作のメディアは無限である。そのどれもが、私の牙城であり、あなたの牙城である。
むしゃくしゃしたら、創造主になれば良い。芸術は眠りと同様、世界の憂さを晴らす絶好の機会である。
これが私の城である。これが私の聖域である。何人の介入を一切拒む我が無敵の表現空間である。
越後スター・一ノ瀬健太
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