バウムガルテンを読んでます
我が師匠、松尾大が翻訳したバウムガルテンの美学、かっこいいからと迂闊に手に取ると大いに怪我をする。
オリジナルはラテン語で描かれたこの書物、美学のはじまりの言の葉を日本語で読めるのはありがたい。
しかし、読んでも意味がわからないのだwこれほど読者の力量を如実に要請してくる書物は極めてレアである。背景となる知識がなければ物理学の本を読んでいるように話についていけないのだ。読書百遍意自ずから通ず、であるかもしれないが、それだって随分と時間がかかる。
後期から大学でバウムガルテンを読む、講義がはじまった。
読むのはバウムガルテンの〈省察〉である。担当は岡山大学の樋笠先生。一方的に話す講義ではなく、対話型ベースなのがたいへんうれしい。一方的に聴く講義は大の苦手だ。あれはアカデミズムではない。弁論大会なら大いにけっこう。対話にこそアカデミズムの本質は宿る。
本日の講義のメモをここに共有しておく。
・カントの美的判断とは、すなわち文章を作ることである。この花は美しい。その言葉でテキストを作る能力のことである。
・中世は神を前提にする。近世も神を前提にする。そのため前提として神がいるか否かを今と違ってカントまで疑うことができていなかった。
・バウムガルテンはカントを先取りしている!構成する→像を結ぶ
・本当の意味では、美学とは感性学であり、論理学とはロゴスの学のことである。
・リベラルアーツ(自由学芸、7つ)
・詩、長短短、ヘロイクヘクサメーターという技法がある。ギリシア語・ラテン語は語尾変化が多数ある。超母音、短母音、詩人とは記録の名人であり、言葉のエキスパート。まさに尊敬の対象。
・アウグスティヌス(音楽論、1~6巻)一巻まるまるリズム論、宇宙も人体もリズム大事。
・舞台芸術・悲劇
・バウムガルテンの認識(知覚・表象・感覚)
・知覚を広い意味で使う。詩、音をきく。文字を読む。黙読はない。耳できく。音響経験のもたらす経験。音楽経験として受容していた。詞と音楽を同時に受容していた。
・歌詞カードを読むか、音楽を読むか。詩人は歌手・作者、今で言うところのシンガーソングライター
・アンビエント音楽とポップミュージックの受容態度は異なる
・音響で聴くのでなく、意味で聴き取ってしまう。映像がついてきてしまう。
・音響効果・シニフィエで意味を取ってしまう。
・音響効果・なめらかな声、透き通った声、リズムがいい、歯切れがいい、発音がいい、崩し方がうまい。うまい歌い方。シニフィアン。意味と音との両方が融合したら超やばい!
・ファンタシア
・詩は絵のごとくに、絵は詩のごとくに。
・頭の中に像を描く。歌詞つき音楽体験と絵画体験。絵画を見たときのイマジネーションとは何か?
・バウムガルテン、プラスチックアートについても視野に述べている。
・弁論術(アリストテレス)スピーチの三分類:政治家・法廷・称賛(冠婚葬祭)
・ペリクレス演説(神演説)ヒットラー(弁論術に対しては優秀)正しいか間違いかではなく、勝つか負けるか。
・修(マスター)辞(コトバ)学=文芸に感動、感動させられたら負け。駄作ドラマ、説得力がない。物語の出来不出来。
・バウムガルテンはどちらも与している。
アリストテレス的には、悲劇を見るにあたって、恐れ(拒否)とあはれみ(同情・接近)の両方のブレンドである。
・修辞学の目的は説得である。
・学問の世界は批判されることが喜びである!ある種、マゾヒスティックにしていくこと。
雑学コーナー
相対主義者を前にしたら、数学を持ち出す!
誰がみても同じデータが出せば一致できるものがある。客観=絶対性を例としてあげる。そこからさらに議論を展開していこう!
君の瞳に乾杯!(近所のバーで撮影)
大学に入って7年目になるが、はじめて哲学の講義らしいものを受けたと思う。やはり哲学は面白い。そう思わしてくる講義だ。
智者と話す議論は楽しい。自分はひょっとして議論が好きなのかもしれない。答えの出ないものに延々と様々な意見が出て、そして、それを聴くことを楽しんでいる。
自分が女々しいからよくわかる。哲学とは女々しいやつのダメ男歴史なのだ。
けんちゃん団子
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