Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

新潟の実家にて想う(億葉集)


西へ東へ!

本日は、鎌倉、稲村ガ崎に行ってまいりました!鎌倉、いいですね!!!

自動運転がきた社会では鎌倉に住むのも悪くないかなと思いました。

今は東京でバリバリ働いているので、谷中にしばらくはおりますが、

確かに、鎌倉は素敵だなと思いました。

道を歩けば、皆日焼けした人が多く、おしゃれなビバリーヒルズ的な家屋と

道で遊ぶ子どもたちの服のセンスもどこか美の壺を感じさせます。

 

 

昨日と今日で、取手、青葉台、稲村ガ崎と都心を離れて行ったり来たりをしております笑

 

さて、それでは行ってまいりましょう!本日の#億葉集!どうぞ!

 

– – – – –

 

 

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東上野を探索中、ステンドグラスの綺麗なカフェを発見いたしました。
 
 
詠める、
 
従者連れ
馬上の上の
東かな

 

 

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なんてエッチなんだ。。、わたしの後ろに並んでいたサラリーマンのことばをママ引用させていただいております。なぜそんなことを言うのだろう。頭のおかしい人が後ろにいる危険性を感じました。

直近、新幹線で起きた無差別殺人事件もありますから警戒を怠らず、自由席の車両を変えようと移動することにしました。

その際、と隣の車両に移る際に彼の言っていた部分をチラ見、あろうことか、わたしもそのサラリーマンと同じことばを発してしまったのです。

なんてエッチなんだ。。、 新幹線同士の接合部分はセクシーなのです。

詠める、
接合部
まぐわい軋む
金属音

 

 

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新潟駅に降り立ちました。新幹線乗り場の憩いスペースに短冊が掲げられておりました。

じいさまのお葬式に参列するためです。二親等の死はかなり辛いのですが、事前に覚悟してをある程度していたことと、90超えの大往生だったため、悲しみも幸せな来るべきひとつの悲しみという理解でとらえています。辛いあまりに心に蓋をするでなく、諧謔的に身内の死をこそ楽しみたいものです。

詠める、

じいちゃんが
美しい星に なりますように
孫一同代表 一ノ瀬健太

 

 

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家でじいさまと対面しようと思ってましたが間に合わず、じいさまはすでにセレモニーホールへと移動した後でした。とりあえず、仏壇にお土産を備えました。

東京に来てから9年目、毎年お盆やお正月に帰りに、東京での生活が長くなるごとに帰省時にじいさまのために持ち帰る酒のグレードも自然と上がっていきました。

わたしのバイト代が上がって行ったこともあるのですが、それ以上に感謝の念が日増しに強まっていったのだと思います。

2年前に宮田文化庁長官がご揮毫された日本酒の中でも最高峰の北雪酒造の「光」を持ち帰ったときには、少しだけ故郷に錦を飾れたのかな、と思いました。

じいさまはそのお酒をありがたがり、結局1年間開けないでとっておいたそうです。その年の年末には同じく北雪酒造の最高峰、YK35を持ち帰ったのも懐かしい思い出です。

 

詠める、
おじいさま
急いだあまり
酒買えず
上野の杜の
パンダのお菓子

 

 

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草の戸も
住み替る世ぞ
雛の家

芭蕉が読んだ、奥の細道のファーストソングです。
最近、宇多田ヒカルさんが初恋というアルバムを出されましたが、みなさん、ご存知でしたでしょうか?あれは、宇多田ヒカルさんご自身が十数年前に発表したアルバム、ファーストラブを踏まえたアルバムだということです。

その頃はじいさまもまだ元気にチャリにも乗れ、布団の上げ下げもしておりました。

昨年はばあさまも死に、年々、家族が減ってまいります。

詠める、

今から みなさんに
殺し合いをしてもらいます と、
たけしさんに
言われずに死んでゆく 幸せ
祖死父死子孫死
これこよなきしあわせなり

 

 

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これ、実家の障子です。よく見てください。銀のラメが付いているでしょう。 …、そうです。虫がくった穴の先から木漏れ日が差しているのです。

うちは、障子すら変えられないほど経済的に厳しい家系です。と、、言いたいところですが、それもまた違います。単に、そこに気づかない、または気づいてもそこを、後回しにしてしまう程度の気遣いの家系です。

おやじとおかんが別居して、かれこれ10年近くが経ちます。

詠める、
おかんがいたら
障子紙も
きれいなんだろなぁ

 

 

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父と母が別居をしてから、かれこれ10年が経ちます。別居理由としては、母の母の介護のためという理由もあるのですが、実際それだけの理由ではない気もしております。

10年前までじいさま、ばあさま、おやじ、おかん、弟者と暮らしていました。その時におやじとおかんはいつも喧嘩ばかり。本音でぶつかり合うというと聞こえはいいのですが、どちらも子ども、甘えの依存関係があったような気がします。父も外面は大変いいのですが、母に対する甲斐性というものがもう少しあってもよいのではないかと子どもながらに思っておりました。

態度もさることながら、態度で示せないのなら、モノやお金でも示せるものが、あります。父は自分のために、いつも変な時計やサンダルをしまむらやアベイユから月1で買って来ています。

詠める、
甘え愛
喧嘩ばかりの
かすまびし
甲斐無く刻む
ゲロダサ時計

 

 

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藝大に合格するというアートをしたのが、わたしの処女作でした。すでに電波少年の坂本さんがチャレンジされている企画で二番煎じは否めなかったのですが、あちらはエンタメ、こちらはハイアートという位置付けでチャレンジしたのは懐かしい思い出です。

今の現代アートはことごとく電波少年を模倣していると思うのは私だけでしょうか。

合格通知書のみ、を作品にしていたのですが、家に帰ると額に入れられておりました。なるほど!これでいっそう、アート作品ぽくなった次第です。父は高卒、母は中卒。わたしは東大6浪の末不合格。学歴を求めてやまない日本社会を痛烈に皮肉った作品となります。

詠める、

藝大に
受かるアートが
額に入り
東高(とんこう)卒業
中卒の母

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じいさまは今年の2月くらいから体調を崩し肺炎で入院。年末年始は猫の世話もあり、例年の帰省もお預け、新潟に帰ることができませんでした。

じいさまの看病に行った母にLINEを、繋いでもらって会話した、最後のことば、あー、でいじょーぶだー、んーんー、でいじょーぶ。そう聞いた時、またお盆まで大丈夫だろう、そう思ってはいたのですが、やはり、心の底では、近々、いつか帰ろう、いつか帰ろう、帰ってじい様の最期となるかもしれない会話をしよう。そう思っているうちに、6/18日(月)の午前3時43分、母からの電話がなりました。

実家に戻って家のリビングを見てみると、食器棚にじいさまのデイサービスでの活動を示す写真が飾られていました。1年前に死んだばあさまが通っていたところと同じデイサービスで輪投げ大会、スリッパとばし、子供騙しな遊びを、そうしたノリが嫌いな、賢いじい様がやっていたと思うと、なんだか、泣けてきました。

詠める、

やるものか
欺瞞遊びの
トッキッキ
還らぬじじい
まんざらでもなく

 

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主人なき庭、そして庭の手入れ道具たち。帰省するごとに荒れる庭。それに対して指をくわえたまま何もできない俺。じいさまが死んで戻った、わたしの浪人時代の癒しの庭には除草剤がまかれておりました。わたしが帰って、しばらくしたら、すべての植物が枯れているのでしょう。

謎の木の置物、赤錆た鉄鋏、紫外線に完全劣化したプラスチックのキリンの置物、そういえば、ばあさまはなぜかこのキリンをパピ子と呼んでいました。

浪人時代、ROUND1のボーリングスタッフバイトから帰宅、深夜のくだらない番組を見ながらデイリーヤマザキで買ったメンチカツとばあさまの用意してくれた簡素なご飯と冷たい味噌汁を食べ終え、風呂に入り、一息つきながら、ミルクをデッキー401の地下で買った小林秀雄好みの骨董に入れて、一口飲み、雪の降る中、座禅を組み、白い吐息の中で、月を眺めた庭。

わたしの枯山水は永遠にこのじい様の手入れしていた庭にあります。

詠める、
無残やな
赤錆ゴケの
枯山水

 

 

 

Culture You!あ~、世界ってほんと美(たの)しい

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