Renaissance Man

とにかく、あれこれやってみる。

上野の歴史建造物について(寛永寺、赤レンガ、東京国立博物館、国立科学博物館等)


 

 

今回は上野の歴史的な建物等を紹介している、ボランティア団体の方々の

勉強会に参加させていただきました!

 

普段目にしている上野の建物の歴史を知ることができ、とてもよい経験になりましたので、

シェアさせていただきます!

 



 

さて、ここからは講義の内容についてお伝えいたしましょう!

 

テーマは、『日本の近代建築上野から建築の歴史が見えてくる』でした。

 

 

上野というエリアは、歴史的な建築が集まっている稀有な場所であり、

日本の近代(明治以降から第二次大戦)までの建築の歴史を知ることができるのだそうです。

建築史初心者の方から理解していただけるように、私なりに区切って書きました。

 

ざっくりとした説明の部分があるかもしれませんが、ぜひ最後まで見ていただければと思います。

 

 

【日本の建築と西洋の建築の違い】

外観◆

日本建築の特徴は木、張り出した大きい屋根が特徴。

西洋建築の特徴は石、屋根のドームや窓、柱のアーチの曲線が特徴。左右対称。

以下は先生のスライドを撮影させていただきました。

造りの違い◆

東叡山寛永寺文殊楼平面図 東京国立博物館表慶館平面図

日本:木造建築、柱で屋根を支える。

その為、柱と柱の間の空間を壁、窓、引き戸が比較的自由に作れる。

横長の窓、引き戸が特徴。

西洋:石造建築、壁で屋根を支える。

一つ一つブロックを積み上げるように作るため、耐久性的な問題で

大きな窓を作りにくい。縦長窓になる。窓の空間を開けつつ、屋根の重さを支えるために、

アーチが発明されたそうです。

平面図:ある部分で、建物を水平に切った様子を上から見た図のことだそうです。

 

 

 

江戸時代の建物◆

上野公園には江戸時代と明治時代の建築が混在しているそうです。

そもそも上野公園の敷地は、ほとんど江戸時代まで寛永寺の敷地だったそうです。

 

明治維新の際、戊辰戦争の戦闘の一つ、上野戦争により、寛永寺の敷地は大部分が

上野公園になりました。その後関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、現在、上野公園には、寛永寺の五重塔、東照宮、清水観音堂、黒門が残っています。

旧寛永寺五重塔(1639

東照宮社殿(1651

寛永寺清水堂(1631

 

 

上野公園のあちこちに寛永寺の建物があるのはそうゆうことなんですね。。。

というか、公園の方が後だから、寛永寺の中に上野公園ができたということなんですね!

 

ここから2章に入ります!

 

【西洋風?建築】

教育博物館(1877現在の東京芸術大学の場所に造られました。

(教育博物館は現在の国立科学博物館の前身)

まだ西洋式の建物が入ったばかりで、西洋建築を作れる技術者、職人さんがまだいない状況でした。職人さんは横浜の外国人居留地等から学び、見よう見まねで造ったため、本格的な西洋建築ではない、西洋の方からすると、少し不思議な西洋風?の建物になりました。

(木造。平たい、つぶれたようなアーチ。コーナーストーンといわれる建物の過度の縦に伸びている装飾。)

 

旧教育博物館書籍閲覧所(1880先ほどの教育博物館本館はなくなってしまいましたが、

書庫、閲覧書として当時使用されていたところが現在も東京芸大の敷地内にあります。

『赤レンガ』と呼ばれて、道路側からみることができます。

 

 

都内の赤レンガの建物では最も古い建物だそうです。現在、この中には東京芸大の美術学部の同窓会である杜の会の事務局が向かって左側に入っております。右側には音楽の同窓会が入居しております。藝大生のOB&OGを繋ぐ役目を担っている組織の事務局があるのは、まさに建物にピッタリです!ちなみに、わたくし、学生幹事委員長でもありますから、しばしば、こちらに出入りしておりましたが、改めて歴史ある建物なのだと勉強になりました。

 

一度レンガの上からモルタルを塗られたのを、はがしたためレンガの表面がデコボコしているそうです。

 

 

上野博物館(1881東京国立博物館の前身ジョサイア・コンドル(日本近代建築の父)

の設計で、西洋建築の建物が建てられましたが、関東大震災で崩壊、昭和12年、東京国立博物館の現在の本館が建てられました。

 

旧東京図書館閲覧所書庫(1886

小島憲之(こじまのりゆき)が設計し、建てられました。小島憲之はアメリカに留学し日本人で初めて建築の学士号を取得したとされています。

 

帰国後は旧制第一高等学校などで図学、英語を教え、教え子には夏目漱石もいるそうです。

 

東京国立博物館表慶館(1908)

片山東熊(かたやまとうくま)設計で建てられました。片山東熊は最初期の日本人建築家の一人でジョサイア・コンドルの工部大学校での第一期生の弟子の一人だそうです。

コンドルの工部大学校の第一期生の弟子はほかに、辰野金吾(たつのきんご)、曽禰達蔵(そねたつぞう)、佐立七次郎(さたちしちじろう)がいるそうです。

 

 

【西洋建築の鑑賞ポイント】

柱の装飾も西洋建築の特徴の一つです。

柱の上にお皿:ドーリス式

柱の上がグルグル模様:イオニア式

 

柱の上に草模様:コリント式、アカンサス(西洋葉アザミ)の葉の模様だそうです

国立科学博物館の正面(1931は、ドーリス式。

 

アーチ型の入り口も西洋の影響を受けていた。

中心性を重んじて、左右対称。シンメトリック。玄関、ひさしを大きく張り出すデザインで、堂々とした格式高い建物の威厳を表しているようです。

 

いかがでしたでしょうか?

 

私は、今は失われてしまった建物も、今回写真で一つ一つ建物の特徴や背景を説明していただけて、とても分かりやすく、

なるほど!とおもいました。

 

 

上野にはまだまだ歴史ある建物がたくさんあります。

美術館や博物館、動物園、アメ横等遊びに来た際に、展示されているものだけでなく、建物も楽しめそうですね!

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

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