修士論文かき揚げたった!
いままで長きにわたり、2年間の修士生活の全てを込めた一冊を先ほど教務課に提出してきた。
修士論文はこちら→『Clarisse Crisis ~なぜ日本でロリコン文化が花開いたのか?~』
リサーチ自体、入った当初から手広く広げ乱読しながらさまざまなものを見聞きし、食べ、味わい、咀嚼し、ときに忘れながら、古今東西の使えそうな資料を無作為に、ときに体系的に集めまくってきた。
我ながら広大な海に随分と漕ぎ出でたように思う。がくぶのときよりもやや、深く、深呼吸して、いくばかりか真理の大海に頭を全部潜らせるくらいは潜ったものと自負している、が、やはり世界は広い。
かつて、ニュートンが先人たちの研究によって成果を出せる自分の研究を、巨人の肩と形容したが、世界のいたるところに巨人の肩が肩パッドウパニシャッドしている。
いま、今日は珍しく、スマホでブログを打っている。今日はこれから、ざーぶーで、ぱーよろのちゃんねぇーとすーしーである。
ヨーロッパハウスでEUの超エリート学生と交流、あわよくば、、乱れた国際交流をしてくるため、電車の中で小忙しく指を爆速フリックフリスクしている。
スマホもケータイも、巨人の肩パッドである。ジョブズは巨人の肩パッドを一段とまたもりもりっちょしたわけである。電車もまた、電気で走っている。マクスウェル、テスラ、コンピュータ制御を視野に入れればシャノン、チューリング、OSはビルゲイツであろう。運転手、車掌さん、昨日のゲロを処理した若手の車掌、みながみな、同じ船に乗り、同じ肩パッドの上に乗っている。
世界は多様だ。味わうにはあまりに人生は短い。また惰眠を貪れば貪るだけ味わう時間も短くなる。今日は表紙のデザインに凝ったので2時間しか寝ていない。ノンストップひばりくんなわけである。デッドオアアライブ・ヴァリアブルジオなわけである。
会場は広尾駅から歩いて10分、最近後輩が広尾に引っ越したが、そこのカフェの意識高い率がマジで高くて窒息しそうになったw皆MacbookAirで、英語の作業をしている。お、、、おう。ここはどこ私は誰状態だ。
そこに後輩は住んでいる。ワンステップ上がった感が後輩のオーラから伝わってくる。こうやって少しずつ少しずつ人は風格を身につけていくのだ。
本稿は、漱石や川端、三島の系譜に連なる。日本の文化の多様性、世界の文化の多様性を担保する人類規模で現代の人文復興に貢献できるものである。
論文で扱う領域は多岐にわたる、とおもっている。自分の強みは学際的な視点からの美学的考察である。人間という存在を1つの学問に押し込むにはその分野はあまりにも狭い。人間はそのまま様々な分野から捉えられて初めてその真の姿を見せる。美学、しばしば美学と同じと思われやすい芸術学、そもそもで誤解されそうな美学は、個人の譲れない美意識と誤解されて共有されている。ルパン三世の男の美学という歌詞が圧倒的に美学を美学とさだめてしまったのである。他にも児童ポルノ法や国際的条約などの法律的視点、生物学、進化心理学、認知心理学、もはや、ここまでくるとほぼ同一の学問分野にしか思えてならない。ただたんに就職口のポストを作るために、細分化しているのかもしれない。認知科学、比較認知科学、表象認知科学、適当な単語を接続してでっち上げてみた。
そのほかにも、クールジャパン、日本のみならず海外から見たクールジャパンも貪欲に漁った。今年の1月から8月にかけてずーっと家で本を読む生活が続いた。3区の図書館をフルに活用するのがわれである。
そこになければ、東大図書館、そして国会図書館に行くしかない。国会図書館にいくと、ほっこりした気分になるのはなんでなのだろうか。そこには、はっきりと巨人の肩がくっきりこっきり見えるからだろう。膨大な蔵書の前に限りある人生になにができるのか、天才の証明は打ち砕かれ、分相応を知らされる。
そうなのだ。俺に価値はないのだ。だが、価値がないことを知っているからこそ価値があるのだ。かつてゲーテは教養の定義をこう語っている。自分がいかに無知で何にもないちっぽけな存在かを噛み締めたもののみが真の教養を知ると、教養とはすなわち、巨人の肩に自覚的に乗り、その肩パッドがひしめく中で自分のできる肩パッドをサガミオリジナルくらいでもいいから厚みを増させることなのだろう。

111ページ!分厚い肉だ!著作権に関してはグレーなので、販売はできませんw表紙だけ変えればできるな!コラージョとしての芸術という扱い。過去のアートヒストリーの文脈からシミュレーショニズムに則って表紙をデザインしています。
その点において、人生も研究も変わらない。いい研究は厚みを増す。どこの肩パッドが薄いか、調べ、そこを意識的に高めていく。いい人生もそうだ。いい仕事とはそうした俯瞰的な位置から見たときに肩パッドをたすことである。いい仕事の積み重ねが巨人の肩パッドになりますますでかい仕事につながる。その意味で1つの肩パッドを軽んじるものにいい仕事はできない。
人間の人生などあっという間である。20歳になったと思ったらすでに30になってしまった。幼顔の友人は皆劣化ウラン弾並みに劣化している。こめかみの辺りにシミもできてきたw徐々にゆっくり身体は老いていますが、精神はいつも山形先生のマッドマックスの銀色スプレーでいきたいものですねぇ。
今回の修士論文がどのような評価を受けるかさだかではない。あまりに飛び抜けた研究はコペルニクスやガリレオ扱いされる。そのため、クリエイティブと同時代の評価を受けるには、その時代がある程度先進的な研究を理解する土壌がなければならない。今回の学際的な考察は、なんら新しいものではなく必要であるとされていたわけだが、ことロリコン文化における学際的研究は管見の限り極めて少なかった。ロリコン文化の文脈にないかたちで医学や、生物学など関連する研究がたくさんあるが、その時点で並べられたことはないのではないだろうか。
C.P.スノーが「2つの文化と技術革命」を記して、蛸壺化する学問間の交流の少なさを指摘しているが、学際的研究の必要性はこの頃から指摘されている。今回の私の研究は、社会的にスノーを真に必要とする社会であるならば理解されるのではないだろうか。という楽観的な予想をたてている。
(明日に続く。小出しに小出しに情報を出すことを覚えましたwやっとw)
越後スター、いっちー
お!なかなかいい記事じゃん!と思われた方はアマゾンでお買い物♪
コメント
わーおめでとーo(^▽^)o表紙かわいいね!女の子への劣等感を感じるよ!読みたいなあ( ´ ▽ ` )ノ
まついさん ありがとうございます。いつも拙ブログをお読みいただきうれしい限りです。
受注生産承っておりますので、ぜひご友人をお誘いの上、こっそり耳打ちしてくださいwお待ちしてます笑
修士論文無事提出おめでとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
そめやさん
おかげさまで修士論文を提出することできました。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします(^-^)!